無革新 「山名祐豊 プレイリポート」(その4)




     時代の行方(1570年〜



まぁね「革新」というゲームは元来、武田信玄や上杉謙信が強くなるゲームなんだよ。
特に西日本の大名家で始めると奴らはガンガン強くなっていくんだ。
巨大勢力に対するセオリーは【巨大になる前に叩く】なんだけど、
西日本の、しかも弱小大名家で始めると頑張ってもこうなっちゃうんだよな。

西日本は山名家、東日本は武田家、
いま天下分け目の合戦が始まろうとしています。
「革新」お馴染みの天下を決するこの壮絶な戦い。
いつもと同じ展開だと思う無かれ、

   我が山名家には技術なんてひとつも無い!

さらに武田家の総兵力百三十万に対し我が山名家は九十八万、数の上でも不利、
え? 前回より兵士数が増えてる? そりゃそうだ。奴らもウチも募兵に次ぐ募兵ですよ。
ま、そんな感じの「A4サイズの野望革新・三国志」史上前代未聞のバカ過ぎる状態です。
ですが、ここで退いたら勿体無い。
おいしい。こんな美味しい状態は他にないぞ。

と、いうワケで以下は、我が山名家と武田家に関わる壮絶な戦いの記録です。


-----『越前攻防』(攻:武田軍 vs 守:本願寺)-----
武田軍、八万の騎馬隊を持って侵攻、
本願寺、御山御坊、一乗谷、敦賀港で抵抗するも敗走。

畿内から北陸にかけて戦力を配置する本願寺に対し武田軍は騎馬隊の勢いで西進、
加賀御山御坊にて本願寺軍は必死の抵抗を見せるが騎馬戦法が炸裂し始めると後退、
さすがに耐え切れなくなり御山御坊を捨て越前若狭の一乗谷城に兵を集結させ再度抵抗。
しかし勢いに乗った武田騎馬隊の攻撃は凄まじく、一乗谷、敦賀港は陥落した。


-----『石山合戦』(攻:山名軍 vs 守:本願寺)-----
山名軍、姫路城より二十万の兵を持って、
本願寺、石山御坊三万、八上城から援軍六万に対し石山御坊を制圧。

山名軍の東進に警戒する本願寺は、山名家に対し抵抗する。
鉄砲、足軽技術に優れる本願寺軍に対し山名軍は計略系戦法を主体に戦う。

黒田官兵衛、宇喜多直家、小早川隆景ら智将を擁する山名軍ではあったが、
本願寺に仕える竹中半兵衛、足利義昭らに看破され、
逆に彼らの【混乱】【威圧】を受ける事多々あり、
これを圧倒的な物量に物を言わせて大きな被害を出しつつ攻略に成功。
この一戦によって趨勢は決し本願寺は山名家に降伏する。


-----『敦賀前哨戦』(攻:山名軍 vs 守:武田軍)-----
山名軍、丹後弓木城から十八万、丹波八上城から三万の大軍を用い、
武田軍が攻略したばかりの敦賀港三万を強襲する。
一乗谷城から援軍十万が出陣するも間に合わず敦賀港は陥落する。

予てより丹後弓木城では巨大化する本願寺勢力に対抗すべく、
兵士を他の拠点より多く駐屯させていた山名軍は、
本願寺が降伏すると、その矛先を耐久度が無くなっていた敦賀港へと向けた。

山名軍は十数部隊が出る大軍だった為、戦闘は僅か数日で終結したが、
実質これが山名、武田による天下分け目の合戦の前哨戦となった。
実際に戦場にたったある兵士の言葉によると、
「武田軍の攻撃力は凄まじく、まさに味方部隊が溶けるようであった。」との事


-----『近江攻防戦』(攻:武田軍 vs 守:鈴木軍)-----
武田軍、三万が大垣城から観音寺城へ侵攻。
鈴木軍、四万は観音寺城付近でこれを撃退。
鈴木軍、大垣城へと攻め上るが攻略できず退却する。

近江出兵の為、武田軍は小谷、観音寺、稲葉山各城の中心地点に築城部隊を派遣。
観音寺城を支配化に置く鈴木家は後方に山名軍を背負い動けない状態にあったが、
山名家が鈴木家に同盟を打診、これを締結した事によって、鈴木軍は全兵力を持って、
武田方が築城した大垣城から出陣した武田勢と激突。
鈴木勢は見事に武田軍を追い返す事に成功した。

勢いに乗った鈴木軍はそのまま大垣城へと攻撃を加えたが、
武田軍は美濃稲葉山城から五万の援軍を得てこれを撃退した。

尚、鈴木家は鉄砲技術、足軽技術に優れているが、
【交渉】による技術革新は行っていない。


-----『小谷攻略戦』(攻:武田軍 vs 守:山名軍)-----
武田軍、三万が大垣城から北近江小谷城へ侵攻。
山名軍、山城から十万の兵を持って小谷へ急行、敵軍を挟撃する。

本願寺を降伏させ敦賀港を奪取したばかりの山名軍の主力は、
いまだ中国地方にあり、その兵力がようやく山城へと入城した。
小谷は本願寺が降伏する前と同じ状況にあり、僅か五千の兵しか駐屯していない。
観音寺攻略に失敗した武田軍は手薄な小谷を標的とした。

それまで敦賀港付近で散発的な小競り合いが続いた山名、武田軍であったが、
城を巡る戦いはこれが初であった。
急ぎ小谷に入った竹中半兵衛は【偽報】を連発し武田軍の侵攻を遅らせた。
敦賀港から長宗我部元親が、山城室町御所からは吉川元春、小早川隆景が出陣。
山城から出た山名軍は同盟を組んだ鈴木領内を進軍し、
大垣から出陣した武田軍を北近江で挟撃、これを壊滅に追い込んだ。


-----『大垣大戦』(攻:山名軍 vs 守:武田軍)-----
武田軍、大垣城(近江と美濃の境にある支城)にて、山名二十万と激突する。
武田軍は美濃、尾張、三河の兵を集結させ約三十万を動員。

大垣の部隊を失った武田軍は大垣城救援の為、稲葉山より近江へむけて出兵。
これに対し山名軍は中国、四国から輸送した兵二十万を、
長宗我部元親、本願寺顕如、立花道雪ら足軽戦法に長ける将に任せる。
山名軍は大垣城へと殺到し大規模な攻城戦となった。

城へと押し込めてしまえば武田騎馬とて恐ろしくないという作戦だったが、
美濃、尾張、三河から大量の騎馬隊が援護に出陣した。
武田騎馬は【馬鎧】技術のため、足軽からの戦法は効果が薄いのである。
攻城戦用に足軽隊は【槍衾】等の攻撃用戦法を多く持たせていた為に大苦戦。

山名軍は旧本願寺勢力が残した鉄砲隊を旧島津、龍造寺、本願寺家臣に与え、
足軽隊の後ろから鉄砲系戦法を連発し一進一退の攻防を繰り返す。
が、武田騎馬隊の驚異的な闘志の上昇率と攻撃力に万単位の死傷者を出し、
山名軍は撤退やむなしという状況に追い込まれていく、
長い間戦闘を続けた足軽隊は一時小谷へと退き、今度は補充兵を引き連れ、
鉄砲隊の後退を援護しに再度出陣、武田軍も一時撤退を開始する部隊多数。

ここに隙があった。武田軍はまたも大量の部隊を出陣させたが、
兵力に比べ武将の数が足りなかったのか、智謀の低い部隊が多く混ざっていた。
これらの部隊にそれまで【偽報】や【流言】に走り回っていた黒田官兵衛らを戦線投入。
武田騎馬の戦法に耐えつづけ闘志を貯めつづけた山名軍は、計略系戦法連発させる。

それまでほとんど効果が無かった計略系戦法が決まり始めた。
宇喜多直家は戦場にあって【混乱】の効きそうな部隊を探していた。
武田軍の中にあって凄まじい戦い振りを見せる上泉信綱隊、
直家は上泉信綱隊に【混乱】を仕掛け見事に成功する。
これに周囲の武田軍も混乱したのだから戦争というのは解らない。

流れが大きく変わった。
戦場にあって闘志を最大まで溜め込んだ黒田官兵衛の【火牛計】が成功。
今は押され気味だが、当初はむしろ武田軍の方が大量に兵士を出していたにも関わらず、
前線の武田軍は崩壊し、これまた闘志を貯めた鉄砲隊が敵将を撃ち殺していく。

大垣城を道雪の【強襲】【槍車】【槍突撃】連鎖で打ち滅ぼした山名軍は、
そのまま武田家稲葉山へと襲い掛かった。
大量の騎馬を失った武田軍は、なんと弓隊で出陣した。
これで強烈な騎馬戦法は無いと見た山名軍は勢いを増す。
しかも、武田軍はその大軍故に兵糧を全て使い果たしていたのである。
一年以上にも続いた大垣大戦はこうして山名軍逆転勝利に終わった。
終って見れば山名軍はなんと二十万の兵力で武田総勢三十万を打ち破ったのである。


-----『岡崎事件』(攻:山名軍 vs 守:武田軍)-----
大垣大戦後、伊勢に逃れた織田を降伏させた山名軍は、
武田領となっていた尾張、美濃を制圧。三河岡崎城に軍を進める事になる。
武田軍は甲信地方から輸送隊に二十万の兵を預け、岡崎城へと向わせた。

大垣大戦は武田、山名両軍に深刻なダメージを残して終結した。
美濃は壊滅した施設が立ち並び、傷兵は拠点毎に十万単位という壮絶な戦いだった。
両軍のダメージは兵士ばかりでなく兵糧にも及んでいた。
特に武田家は兵糧のほとんどを消耗しており、その為か北方で武田に抵抗を続ける南部家が、
一時的にではあったが武田軍を押し返すという場面もあった程である。

しかし武田家は【二期作】【灌漑】といった兵糧に有利な技術を有しており、
偶然重なった豊作にも恵まれ、あっという間に兵糧を回復させたのである。
これには参った山名軍、内政系の技術もほぼ皆無であったため、
中国、四国、九州に残してきた山名家臣は市を壊し畑を大量につくり急場を凌いだ。

また、これまでの戦いの中で捕虜とした武田勢の武将で騎馬適性の高い者は処断した。
武田騎馬隊の攻撃力を少しでも削ぐ為には仕方の無い対応である。
こうして武田方の飯富虎昌ら、名将、猛将が時代から姿を消していった。

さて美濃、尾張を失った武田軍は旧領回復の為に、
三河岡崎城に甲信地方で募兵していた二十万の兵の輸送を開始した。
関東方面からは五万の輸送隊が出発、山名軍は尾張に僅か六万しか駐屯しておらず、
今回ばかりは撤退を覚悟したのだが……、
三河には一万五千の武田兵しかおらず二十万と言えど輸送隊である。
立花道雪らに数万の兵を与え岡崎城のわきをすり抜け輸送隊を襲撃したのだ。

必死に逃げきろうとする輸送隊を取り囲み、岡崎城への進路を完全に封鎖。
僅か一万五千の兵では指を加えて見ている事しかできない武田軍、
こうして山名軍は六万の兵で武田二十万をまんまと撃破したのである。
当然、関東方面から接近してきた輸送隊も同様の手口で撃破、
救援の無い岡崎城は何も出来ず陥落したのであった。


……奇跡って起こるもんなんだなぁ〜。
これらの戦いによって、いつの間にか技術の全く無い山名軍が押し始めました。

 「主役なのに出番がないプー。訴えてやるナリ、やり直せなのーっ!!」

急に自己主張を始めた山名祐豊ですが、
はっきり言うと弱すぎて戦場に連れて行けないし、やる事ないんだよね。
「ま、そこらへんで畑のひとつや二つでも作ってろっ!」って感じ、
えーと、殿は頑張って畑をたくさん増やしましたとさ、めでたし、めでたし、

 「……それよりツンデレ眼鏡っ娘で幼馴染な謙信はどこプー?」

あ、言われてみれば謙信と遭遇していない。
兵糧が無くなったり、思わぬ被害を受けた武田軍は、
北東北で粘りに粘る南部家に予想外の逆襲を喰らっています。
きっと、そっちの前線で戦っているんだろうね。

 「つまんないプー。」

あんまり、そういう恐ろしいコト言わないで……。
さて、今回は大きな戦い続きだったので最後に現在の兵力分布についておさらいです。


  ▽=山名軍
  ◆=武田軍
                               │
                               │
  弓木城    敦賀港   一乗谷城   御山御坊    支城     富山城
  ─▽──────▽──────◆──────◆──────◆──────◆──
   3万    25万    14万     3万     2万     1万
   │                                  │
  ─┴───┐                          ┌───┘
       │                          │
      小谷城                        桜洞城
       ▽                          ◆
       3万                         8万
       │                          │    ┌─
       │   支城(大垣)     稲葉山城         │    │
  ─────┴────▽──────────▽──────────┘    │
            廃城         6万              │
                       │    支城        深志城
  ───────┐             ├─────◆─────────◆
         │             │    10万       15万
       霧山御所           清洲城              │
         ▽─────────────▽            ┌──┘
         3万            7万           │
         │             │        岡崎城 │
         │             └─────────▽──┴────
        鳥羽港                     20万
         ▽
         4万


数の上では確かに押しているっぽいんですけど、
相手は騎馬技術Maxですからね。
下手に攻撃を仕掛けたらコッチが危ない。
さて、今度は何処が争点になるのか……以下次回に続きます。