SOUU's CounterAttack 「曹宇 プレイリポート」(その3)




     三帝反攻(234年〜


順調に勢力拡大を続ける曹宇軍でしたが、
それを見て黙っている魏呉蜀各勢力ではありません。
特に蜀としては最重要防衛拠点である「漢中」、
蜀軍は全力を挙げてこれを奪回すべく行動を起こしたのです。
いや、それだけではありません、蜀の同盟国である呉もまた時同じくして挙兵。

趙雲、馬超らが3万の兵を率い「漢中」へ、
張苞、関興らが3万の兵を率い「上庸」へ、
諸葛恪らが6万の兵を率い「上庸」経由で「漢中」へ向けて侵攻開始。
壮絶な攻防戦の舞台となった「上庸」とは、どんな都市なのか?
「房陵港」をすぐ傍に保有しており、特徴の無い河沿いの平地に存在しています。
「漢中」や「宛」からの街道は細長い為、守るには適しているっぽいのですが、
「房陵港」があまりに「上庸」に近いため、
都市周辺に軍事施設を建設出来ないような構造になっているんですよね。

仕方ないので弩兵を「房陵港」の周囲に配置し、
近付く艦船を悉く射抜くという作戦、
最初は上手い具合に呉蜀の艦船を撃退していたんですが、
さすがに9万もの敵軍が次々と迫って来ては、
攻略したばかりで軍備もまともに整っていない「上庸」では厳しい。
そこで策源地である涼州方面から常に救援物資を貰って対応するという、
小勢力としては、やってはいけない消耗戦が始まりました。

 「どうやら反乱軍に動きがあったようですな。」
 「ん? 仲達か、うむ、呉と蜀が動いているらしいな。」

そうです、こんな大混乱の曹宇軍を前に、黙っている魏軍ではありません。
「許昌」「陳留」から兵をかき集めた魏軍は若手のホープ(?)である、
司馬師、司馬昭を中心に「洛陽」奪回の軍を侵攻させやがりました。
大ピンチです。四面楚歌です。つーか、イジメです。イジメかっこわるい。

 「やっぱ、反乱軍ってのは、こういうピンチが付き物だよな。」

魏延は一人で嬉しそうですが、
どうしよう、魏軍も7〜8万は動員しているっぽいぞ。

 「そういう時こそ曹肇殿の【捕縛】が役に立つってもんだろ?」

なるほど、敵軍が一流の武将で攻め込んで来ているんだ。
とくに曹宇や曹沖たちは曹操の子供というコトで、
当たり前だけど魏軍の武将とは相性的にも非常に良い。
司馬師、司馬昭あたりを捕えて配下に加えれば、
このピンチは逆にチャンスに成り得る。

こうして曹宇軍は曹肇に騎兵隊を与え「虎牢関」の前に配置、
そしてその曹肇隊を守るように各隊を配置しました。
魏延、ケ艾、姜維、夏候覇、文聘に、ようやく降ってくれたカク昭、
まさに曹宇軍オールスターズが曹肇隊を守るように固まっているのです。

 「どうしましょうか? 兄上……。」
 「なんか手強そうだなぁ。」

魏軍の若手のホープ司馬師、司馬昭兄弟もコレには困ってしまいます。
どっから手をつけていいのかわかりません。

 「こういう時は戦慣れをしている先輩将軍に助言してもらおう。」
 「それはいい考えですな、兄上。」

二人は大先輩で一緒に出陣した百戦錬磨のツワモノ曹洪将軍と、
防戦ならお手の物、郭淮将軍にアドバイスを貰いにやってきました。

 「あー、曹丕の奴の為にわざわざ頭を使って戦う必要なんて無いよな。」

そういや曹洪と曹丕って仲悪いんだよね。
なんでも曹丕が曹洪にお金を借りに行ったら断られた事があるんだよね。
その事でムカついたのか、曹洪の部下が暴れた時に、
曹丕は曹洪の責任だと処刑しようとしたんだよ、
たしか、そんなエピソードあったよね?

 「そこを何とか助言を戴きたいんですよ。将軍。」

必死の司馬師のお願いに、
お前んとこの親父も、なんかムカつくしなー。と知らんぷり。
そういえば曹洪と司馬懿もワケ有りな関係だったと思う、
曹操に仕官する前から結構高名だったらしい司馬懿は、
最初に曹洪から誘われていたと思うんだ、
だけど司馬懿は自分から曹洪のところに訪ねて行くのが嫌だった。
なんでそんな小者のような奴の為に……とでも思ったのかねぇ?
そこで司馬懿はお得意の仮病を使ったんだよね。
んで、杖をついて歩いている風を装ったんだよ。
普通の人でも頭にくるよね、これって、
当然曹洪も腹立った、こうなりゃ偉い人に怒って貰おうと曹操にチクったんだよね。
んで、当の曹操に出仕を求められるたら、なんと、杖を捨てて出てきたんだと、
(あ、でも曹操に出仕しろと言われても何度も断ったという話もあるよね。)
……これじゃ曹洪、怒るわ。

 「まぁ、まぁ、将軍のお怒りもごもっともですが、若い二人の為と思って、」

空気を読んで大人の対応をする郭淮、
そして何か閃いたように曹洪、急に口を開きました。

 「あ、わかった、わかったぞ、オレに策がある。
  まず、オレの隊と郭淮殿の隊が敵陣深く突撃する。
  その後、お前たちの部隊が周囲から攻撃、これで内外から挟撃できるだろう。」

え? それって大丈夫?
その場にいた司馬師、昭と郭淮は首を捻りましたが、
そこは百戦錬磨の大先輩、曹洪将軍が言うんだから大丈夫なんだろうと判断。
それでは早速と戦場へと戻る諸将、戦場ではちょっとした迷いが死に直結します。
曹洪、郭淮は、策通り敵陣深く突入。

 「曹洪将軍、ちょっとマズぃですよ。このままでは壊滅です。」
 「大丈夫だ、えーと、我らは曹宇軍に降伏します。」
 「えぇっ!?」

しかしあっさり捕われた曹洪、郭淮を救おうと、
奮戦する司馬兄弟、強い、かなり強い。
火種を置いて火計を連発し「虎牢関」を遠距離から破壊していく二人、
こちらを混乱させて火に包んでいく二人、
はっきり言って曹洪のアドバイスが無かった方が強いんじゃないかという二人、

 「援軍に参りましたぞ!」

そんな二人を助けるべく「陳留」から魏の援軍到着。
率いるは曹休と鍾ヨウと、これまた豪華です。
それに曹休と言えば、曹肇のお父さんで曹洪の従兄弟ですな。

 「と、いうワケで鍾ヨウ殿には悪いがわたしは曹宇軍に投降します。」

曹休、何しに来たんだろう?
曹休と言えば曹操に可愛がられ曹丕とも仲良しさんだったと思うのですが、
やっぱり息子の曹肇の方が大事なのかねぇ?
曹休は速攻で息子の曹肇に捕えられると曹洪と一緒に曹宇軍の配下に加わりました。

 「ズルぃですぞ曹休殿、わたしだって曹丕様に別れた妻と復縁しろなんて……。」

えーと、鍾ヨウと言えば離縁した妻と復縁しろと曹丕に命令されたんだよね。
それが気に入らなかった彼は山菜を食べまくったんだと、
んで、何がいけなかったのか知らないけど口がきけなくなったらしい、

 「だったら鍾ヨウもご子息共々投降されたらどうでしょう?」
 「おー、ナイスな考えですな。じゃ、わたしも投降します。」

曹休に続き、なんと鍾ヨウまで捕縛されちゃった。
こうなっては司馬兄弟も打つ手なし、やっぱり曹肇に捕縛されました。

 「父親が敷いたレールを進むのではなく、
  二人の力で新たなレールを敷いてみては如何かな?」

と、曹洪に説得力があるのか、無いのか、よく解からない説得をされて、
いつのまにやら司馬兄弟も曹宇軍に参加してしまい、
数年後には鍾ヨウの子、鍾会が成人して登場するという、
「虎牢関」を巡る戦いを勝利した曹宇軍は知らぬ内にものすごいパワーアップ。
曹丕も司馬懿も変なところで、
大事な人と仲が悪いんだから自業自得、身から出た錆ってなモンです。

こうして武将面で大幅にパワーアップした曹宇軍は、
それぞれの人材をそれぞれの戦線に投入し、魏呉蜀それぞれを撃退しました。
しかし、もっとも小国である曹宇軍、
さすがに三国同時に相手するというのはツライ、予想以上に兵力の低下も激しい、
このままではいつか前線が崩壊し次々と敗戦を繰り返すコトも考えられます。
この四面楚歌状態、いつまで続くのでしょうか?



     前線崩壊(237年〜


さて、今回のリプレイを始める前に報告、
237年1月より三国志11を、Ver1.2(2006/05/01)にバージョンアップしました。
まだバージョンアップしていない方は公式サイトにれっつごー。
今回の詳しい更新内容も公式サイトで見てもらうとして、
プレイヤーとして一番嬉しいのが

   「褒賞」「授与」コマンドが実行拠点以外の武将にも可能に変更。

だよね?
これで、どこの誰の忠誠度が下がっているのか、
ワザワザ一覧表を呼び出して調べる必要も無くなったってワケだ。
バージョンアップのお話はこれくらいにして続き、いってみましょう。

前回に引き続き、魏呉蜀からの猛攻を受け続ける曹宇軍。
その前線は対呉蜀については「上庸」「漢中」であり、
対魏については「虎牢関」付近でした。
また、呉は「新野」に6万の大兵団を駐屯させており、
この軍が北上すれば「宛」もまた激しい戦場となる可能性が高いでしょう。

永遠に続くと思われた四面楚歌状態が崩れたのは、
237年6月、トウ芝が蜀の外交使節として曹宇に面会を求めたこの時でした。
長い戦闘で蜀の経済状況もガタガタ、兵力もだいぶ使い果たし、
もう戦い続けられない状態になっていたんでしょうね。
7ヶ月間の停戦を申し入れて来ました。

 「この7ヶ月の間に魏呉の戦線を崩せないだろうか?」

曹沖ならずとも曹宇軍の将は皆、このコトを考えたでしょう。
そして、そのチャンスはすぐにやって来ました。
「虎牢関」を狙う魏軍は「許昌」から出陣、
この隙を突いて「宛」を出た曹宇軍は守備が手薄になった「許昌」へ攻撃、
その隙を突いた呉軍は「新野」から六万の大兵団で「宛」へ侵攻、

しかし、これは予想通り。わたしにとっても想定範囲内。
「上庸」「漢中」にて蜀軍と対峙していた兵力と、
「宛」の残存兵で呉軍六万を挟撃し、これを散々に打ち破ったのです。
六万という兵を失った以上に呉軍にとって痛いのは、
六万の兵を動員するために使用した兵糧を一瞬で失ったという事でしょう。
「新野」を守備する数万の兵を動かすコトが出来なくなった呉軍は、
為す術も無く「新野」に猛攻を仕掛けてくる曹宇軍に破れ「江夏」まで撤退、

当然「許昌」を出て「虎牢関」を攻撃予定の魏軍も、
「宛」から出た曹宇軍に挟撃され壊滅、その曹宇軍が「許昌」へと転進し、
慌てた魏軍は「陳留」から追撃部隊を出陣させたものの、
「許昌」「宛」「虎牢関」を結ぶ街道沿いにて、
連弩櫓を建設し待ち伏せていた曹宇軍に打ち破られました。

 「くそ、蜀のバカ野郎達が勝手に停戦したおかげで、コッチは大被害だ。」

曹丕のイライラも仕方ない。
蜀軍が停戦した為に「漢中」で必死の防戦をしていた王平や、
弓が得意というコトで、やっぱり王平と一緒に防戦していた曹休、
他にも捕えたり発見したりで加えた「漢中」守備隊の面々が、
大挙して「洛陽」「虎牢関」に配置され、
繰り出す部隊が次々と打ち破られて行くんだから仕方ない。
蜀の停戦が完全にミリタリーバランスを崩壊させてしまったのです。

今がチャンスと魏の領地を切り取って行く曹宇軍は、
四国のなかで最も小さかった勢力のハズ、
それが「許昌」「濮陽」「新野」を次々と手中に収め、
その勢い留まるところを知らず、さらに突き進むと思いきや、

 「そろそろ『漢中』の守りを更に固めるように、」

停戦がとける前に「漢中」の周辺に、
軍事施設やら罠やらを大量設置するように指示する曹沖、
停戦終了後、国力が回復した蜀軍の猛攻に晒されるのは火を見るより明らか、
今度はそれを利用してやろうと言うのです。

 「……来ましたな。魏延将軍。」

再び「漢中」へと戻ってきた魏延、王平らを中心に、
桟道を駆け下りてくる趙雲に対し砦を盾に火矢を掛け、
山道を駆け下りてくる馬超に対し魏長隊を盾に、
絶妙な位置に配置された連弩櫓から降り注ぐ矢玉、
次々と効率よく相手にダメージを与え引き付けている間に、
「上庸」「房陵港」から一気に蜀の荊州の要である「襄陽」へと侵攻。
「新野」の戦いで大きくダメージを受けた呉軍は、
危急の蜀へと援軍も出せなければ支援攻撃も出来ず、
出来ることは指をくわえて見ているだけだったのです。

 「完全にやられたな。敵ながら素晴らしい戦略であった。」
 「これが策だというなら、まさに神算鬼謀の将というべきかも知れませんね。」

この光景を見ていた呉の若き英才たち、
ひとりは諸葛恪、いわずと知れた諸葛瑾の子ですね。
もうひとりは陸抗、こちらも陸遜の子として有名な人ですね。

 「魏の反乱軍は曹沖という曹操の子が軍略を練っているらしいな。」
 「曹沖殿とは、はたしてどのような御仁か……。戦うのが楽しみです。」

二人の希望通り、近い将来、
曹宇軍と彼らの戦いが始まります。多分。