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白馬の大爺サマ 「公孫サン プレイリポート」(その4)
洛陽攻略戦(196年〜
袁紹をあの世に送って周囲の敵はあらかた倒した。
お次は戦力を南方向に展開し曹操あたりを倒すか?
それとも、シナリオの名称通り董卓を倒すべきか……。
「いや、わしはまだ生きているのだが、」
そうだ、殺してないや、
袁紹のやつめ、捕虜になってもなんか偉そうに見える。
袁紹の元配下達は次々と登用に成功しているというのに、
この野郎はなかなか頑固なんだよな。
田豊に聞いてみる、あいつは仲間になってくれるかね?
「いっそのコトずっと牢に入れておきましょう。
わたしの言うコトなんてどうせ聞かないし〜。」
まぁ、なんだ、色々あったようです。
ちょっと時間を置いて(ターンを進めて)登用してみると、
「それなりの待遇で登用されよう。」とか何とか言いやがりました。
なんて態度のデカイ奴だとキレ気味の公孫サンでしたが、
実のところ袁紹さんは結構良い武将でね。殺すのは惜しいのよ。
さて、話は戻して次の展開はどうしようかね?
やっぱり董卓と遊んでこようかね?
と、いうのも董卓軍は馬騰、張魯軍と交戦中、
呂布とか怖い人達はずぅっと西の方にいるんだ。
ある意味チャンスだと思うんだよね。
それに洛陽には献帝がいる。
献帝を擁立すると自動で技巧Pが毎ターン増加するらしい。
密かに「ギョウ」で楼船を作り続けていたので、
コレを使って一気に洛陽に乗り込む作戦。
「白馬港」から「孟津港」へと静かに出撃した公孫サン軍。
なんと港には3万の兵士しか駐屯できない様子、
小分けに何度か輸送して7万の軍勢を洛陽に向けて出撃させる。
「孟津港」は董卓も気を抜いているのか僅か3千の兵力しか置いておらず、
桜船で取り囲んで火矢を撃ち込み放題、んで攻略、
陸上戦になればお得意の騎兵隊で蹂躙するまで、
なにしろ呂布ら主力は馬騰と戦っている。
洛陽から迎撃に出たのは王允……。
これじゃ劉備一味と元袁紹配下の猛将たちに敵うはずも無い。
洛陽にも8万の兵力が蓄えられていたが、
その戦力をガリガリ削ってやるだけだ。しかし、
「大苦戦中です。」
「孟津港」で味方の戦況報告を待つ公孫サンの元にやってきて、
とびっきりの笑顔で言う劉備、そうか相手が大苦戦中か、それは良かった。
「いえ、コチラが大苦戦中です。」
なんでニコニコして言うんだ玄徳、
「えーと、なんですか、地面が火を噴いたり、
変な建物から矢が降ってきたりで色々大変なんですよ。」
つーか、おまえ、さっき出撃したハズじゃなかったっけ?
なんでこんなところにいるんだよ?
ちゃんと働けよ。
「そう言われると困るんですが、一言で言うとですね、
計略にひっかかって帰ってきちゃったみたいです。」
むぅ、呂布はいなくても賈ク(言ヘンに羽)が戻ってきたか、
それは侮れない、軍事施設も厄介だ。
予想以上の堅い守りに戦法を使いまくり、
コチラの気力もガンガン減っていく、
仕方ないから我が軍も軍楽台なんかを作って気力の回復、
しかし軍事施設やら部隊やらでかなり賑やかだな洛陽周辺、
更には見慣れない軍旗を掲げて接近する部隊あり!
「助太刀に参りましたぞ!」
とか言いながら、曹操軍の、だけどよく解からん武将の1部隊が、
僅か5千の兵力を率いながら洛陽攻防戦に参加、
コイツ、絶対火事場泥棒に来たんだよ。曹操だもんな狡賢い奴だな。
よく解からん武将は果敢に洛陽を殴っているみたいだけど、
元々強くは無い武将なんだろうね、
なんか敵部隊の反撃を喰らって思うように戦えないみたい。
助太刀に来たのか邪魔しに来たのか知らんが、
いつの間にか居なくなってた。別にどうでもいい、
とにかく洛陽、横取りされなくて良かった。
こうしてボロボロになりつつ洛陽攻防戦に勝利、
献帝をお救いしたし董卓軍に打撃も与えた。
このまま長安まで攻め上って奴の首を取ろうと思う。
決意を新たに燃やす公孫サンでしたとさ、
周囲に目を向けると孔チュウ(人ヘンに由)が死んで、程cが後継となったようだ。
弱小勢力と侮るなかれ、許昌を所有しているがために結構強いぞ程c、
これは要注意だと考えていたらとんでもないコトが発生。
曹操が勢力拡大してきた公孫サンに危機感を抱いた模様。
そこで曹操と程cが協議、結果なんと程cが曹操の下に降ってしまったのだ。
元孔チュウ軍の兵力や都市がソックリそのまま曹操のモノになったんだ。
労せず巨大化した曹操、一応、反董卓同盟ということで直接の脅威では無いが、
今後も火事場泥棒には注意が必要だ。
MAP南方では相変わらず孫堅が好調に領土を拡張している。
結局最終的にこのふたつの勢力が強そうだね。
さて気になる寿命の話題ですが、
192年に公孫越が死んでいる。と、言うか殺されている。
199年に公孫サンが袁紹によって滅ぼされている。
えーと、みんな寿命が結構ヤバイんじゃないかと気になる今日この頃なのです。
197年、洛陽に駐屯している公孫サンと公孫越とその他大勢の武将たち、
董卓との戦いで荒廃した洛陽を立て直す日々が続く中、
軍師の田豊がなにやら不吉なコトを言いやがった。
なんでも公孫越の宿星の輝きが弱っているとか何とか……。
「ま、ぶっちゃけ寿命過ぎてるしなぁ。」
田豊、ぶっちゃけ過ぎ、
冗談抜きでもそういう意味ではいつ死んでもおかしくない。
三国志10の関靖リプレイで寿命のあそびは+10年程あり、
そのなかでも特定の武将には更に+10年追加される事もあるという話をした。
三国志10のマスターブックを見て解かったコトだが、
三国志11も同じ設定と考えて良いのだろうか?
ここまでプレイしてきた中での認識では、
軍師の死の予告は数種類あるのでは無いかと思っているのだが、実際はどうだろう?
この宣告を受けて数ターン(数十日)後に死ぬというワケでもなさそうだ。
ゲームのベースになっている演義の公孫越の没年から約5年で宣告を受けた。
もしかしたら、あと5年くらい持つかもしれん。
同じように考えると公孫サンは209年頃に死ぬかもしれん。
そして三国志10と同じ仕様なら219年まで持つ可能性がある。
そうだとしたら中国統一も可能だろう。そうだといいなぁ〜。
このままだとマズいかも知れないという不安を抱えつつ、
以下次回でございます。
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