←
↑
□
→
少数精鋭「今川義元 プレイリポート」(完結編)
元就、謀略の刃(1579年〜
四国の西半分を支配する長宗我部家は早くから今川家へ対し停戦を願い出ていた。
もちろん今川義元にそのつもりは全くなかった。
天下平定は今川の下に成るべきであり他家を存続させる気は無いのである。
これまでも他家に属した将は全てその責を問い、
ある者は戦場で討死し、ある者は捕らえられ斬首、ある者は自らその腹を切った。
今川家に敗れるという事は、即ち死するという事なのである。
こうなっては長宗我部家も黙って敗戦を受け入れるワケには行かない。
「命欲しくば、いますぐ長宗我部家を出奔なされよ。」
「……わかり申した、戦場で死するは武士の本望。」
「ならば潔く討死するがよい。」
義元と他家の外交使節の会談はいつものようにこのような言葉で決裂する。
今川家に敵対する長宗我部家も毛利家も同様に、である。
さて、その今川家が追い込んだ長宗我部家、
その長宗我部家が統治下におく北伊予湯築城を攻略すべく義元は2万以上を率い出陣。
次いで、忠勝を失い今や松平四天王筆頭とは成りえないが、
幾多の戦場で多くの戦功を挙げ続けた酒井忠次がそれに続いた。
湯築城に籠もるは長宗我部勢八千。対する今川軍は総勢四万を超える大軍。
戦場にある誰もが長宗我部家敗退と思っていたであろう。
義元隊は湯築城に取り付き、何時もの様に攻撃を加えていく。
後方に続いた酒井忠次隊もまた湯築城攻撃のため右翼へと展開し始めた。
これを見て長宗我部勢は敗走を覚悟したであろう。
しかし、今川義元隊に配属されていた古参の兵は違和感を感じ取っていた。
様々な経験を積んでいる古参の兵は戦場の空気を敏感に感じ取るという。
その瞬間、義元隊は右側面から崩れたのだ。
理由は解らないが古参の兵は我先にと撤退を開始した。
これまで何度も劣勢の部隊を立て直してきた義元ではあったが、
何故か兵たちが言うコトを聞かない。
「今すぐ状況を把握しろ、何が起こっているっ!?」
義元の近習らの怒号が響く陣中で義元は信じられない報告を聞く、
酒井忠次隊が今川義元隊へと攻撃を仕掛けているのである。
「同士討ちか?」
近習たちは敵の計略に掛ったと判断したようだが、いや、どうも様子がおかしい。
酒井忠次もこれまで幾つもの修羅場を乗り越えてきた将である。
例え敵の計略で同士討ちを始めたとしても、
すぐに状況判断し兵たちを落ち着かせることが出来る将である。
それがこうも長引くだろうか?
義元の隊はいよいよ本格的に崩れ始めた。もぅ建て直しは難しい。
義元は全軍撤退を決断、湯築城に背を向けて一気に逃げ出したのだが、
右翼に展開していた酒井忠次隊が義元隊に回り込む。
まるで酒井忠次隊と湯築城が義元を包囲しているかのような状況になってしまった。
状況を理解していないのは義元だけではなかった。
義元以上に目の前で何が起こっているのか把握できないのは長宗我部勢である。
とにかく今川の軍旗を掲げる両部隊が争っているのである。
味方ではない、長宗我部勢も近寄る部隊全てに矢を撃ち応戦した。
酒井忠次が裏切った? この報によって戦場は混乱を極めた。
いや戦場だけではない、圧勝を信じていた義元隊から、
救援を求める傷だらけの兵が辿りつき、
さらには忠次が裏切ったために苦戦しているというのだ。
元康には信じられなかった。忠次が寝返った。そんな事があるハズない。
元康は手勢を引き連れ義元を救援し真実をその目で確かめるべく湯築城へと向かった。
確かに今川義元隊は苦戦していた。相手は酒井忠次に間違い無い。
しばし信じられないといった面持ちで立ち尽くした元康ではあったが、
「元康様、毛利の軍勢が迫っております。」
服部正成の声を聞き我に戻った。
そうか、毛利の手の者が忠次を誑かしたのか……。
元康はそう考えた。いや、そう考えたかった。
これまで共に戦場を駆け回った忠次が理由も無く造反するワケが無い。
「殿をお救いする。全軍、我に続けっ!」
元康隊は忠次隊を一気に攻め立てた。
毛利勢が駆けつける前に忠次を捕らえなければならない。
義元は元康の援軍を確認すると忠次隊を挟撃する形で反撃に移る。
二万の兵を率いていた義元隊は既に戦える者を数えると四千にまで減っていたが、
生き延びるため、自領に生きて帰るために奮起する。
湯築城からは城に籠もった長宗我部勢の矢が飛び続け迫る毛利勢を牽制する。
元康隊はこれまた五千にまで減った酒井忠次隊を殲滅し撤退を開始。
四万の大軍で出立した今川遠征軍が退却したとき戦える兵力は僅か二千となっていた。
元康隊を加えたとしても五千と少し、これまでのリプレイ中でも屈指の大敗である。
敗戦によって兵士を失ったことも痛かったが、
なによりも痛いのが数正、忠勝に続き忠次を失った事である。
しかも討死ではなく、裏切りによって失ったのだ。
後日、捕らえられた忠次は牢から出され元康と面談した。
が、造反の理由を問う元康に何も答えることはなかった。
義元もまたこれまでの武功を考え許すつもりであったのだが、
忠次は頑なにそれを拒んだため、義元はやむを得ず切腹を命じた。
介錯は元康が自ら望んだという。
あの日、彼に何が起こったのかは誰も知らない。
毛利元就の謀略の刃が彼を狂わせたとしか思えない。
だが真相は闇の中である。
天下平定(〜1580年 プレイ終了)
1579年、酒井忠次の寝返りの怒りに身を任せ毛利家を滅亡に追い込んだ今川家は、
その勢いをそのままに九州を凄まじい速度で南下した。
九州南部は島津家が統治していたが長年続いた毛利家との小競り合いの為、
それほど兵力を蓄えるコトが出来なかったのであろう、
大きな抵抗を見せることなく開戦から1年の1580年の夏、
毛利家の捕虜および島津家の捕虜を全て処断し島津家もまた滅亡、
こうして今川家は天下を平定したのである。
最終武将数42名、戦死者2名、寝返または出奔者1名、プレイ時間は25年で終了。
長きにわたる戦乱の世を治めた今川義元は新たに幕府を開き、
雪斎、元康らもまた幕府の要人として今後も今川政権に力を貸し続ける事になる。
高くそびえる天守閣から大地を眺める義元と重臣達、
思い出せば武田信玄、上杉謙信、毛利元就といった猛将、智将が今川家を苦しめ、
今川家に弓や内政の新しい技術を次々と呼び込んでくれた石川数正を失い。
幾多の戦場をギリギリの人数で支え続けた猛将本多忠勝を失い。
20年以上苦楽を共にした松平三人衆(四天王?)筆頭として、
必死に戦う今川家を支えた酒井忠次を失った。
まさに波乱万丈の生涯であった……。
さてコレで今回の少数精鋭プレイも終りです。
長かった。ホントに長かった。どこまで続くのかと思いました。
なにしろ「少数精鋭リプレイ」だけで第七話まで続くとは想像していませんでした。
でも少ない人数故にそれぞれの武将に愛着を持てたし、
高品質な家宝、高い官位や役職を与えることが出来ました。
官位と具足によって統率は最大20も上がるワケで、
今川家には統率100超がゴロゴロしているんですよ。
パーティ人数が多いRPGを楽しんでいるような雰囲気と言えばわかるかな?
新しい官位を手に入れる、新しい家宝を手に入れるというのは、
新しい街を見つけて新しい武器や防具を買い込んでいるようなイメージです。
深いダンジョンに籠もって未知の武器や防具を見つけたようなイメージです。
こういった楽しみ方もたまには良いのではないでしょうか?
だけど、人数が少ない為に裏切られたり討死した時は非常にショックでした。
なんかもぅ世の中が終ったみたいな気がしますよ。
ま、それもまたRPGのストーリーの範囲内だと考えれば面白いですよね。
それに「討死」が「多い」と怖いというのも再認識しました。
あ、もちろん楽しいだけじゃなく、苦労もありました。
包囲網によって各地で戦闘が勃発すると対応しきれない。
猛将一人を派遣してたった1部隊で応戦するような場面も多々ありました。
さらに困ったのが進軍スピードが上がらないということ。
故に敵勢力の技術革新がどんどん進むんですね。
武田、上杉は元々強いのですが、騎馬技術を上限まで上げたら神懸り的に強い。
んで予想外に強かったのが毛利家です。弓と水軍技術が最大まで上がってました。
意外に怖いですよ、安宅船に乗った弓技術最高部隊ってのは……。
幸い鉄甲船とは遭遇しなかったんですがね。
あと水雷、これが厄介。次々とコチラの船を撃沈してました。
とにかくゲームの中の時間は25年ですからそんなに遅いわけじゃないんですよね。
でも戦争が長い長い。ちょっと動かしたら指示をし直すといった感じです。
あとリプレイ中も何度か嘆きましたが智将が全然足りない。
敵の計略や戦法にひっかかってばかりなんですよ。
義元、元康、雪斎、数正は技術革新で戦線を離脱するコトが多かったんですね。
だとしたら頼れる知力が高い武将は本多正信、服部正成といったところ……。
これが一番苦労しました。
と、まぁ、そんな感じで終了したのですが、
さて次回は?
実は次回も徳川家にはお世話になります。
ただ、次回も忠勝や忠次は最後まで仲間とは限らないかもしれません。
なにしろ俸禄に制限があるんです。1800という制限が……。
制限を超えたら、やっぱり追放するしかないかなぁ?
俸禄1800になったら家宝で忠誠度をカバーしようか?
でも家宝の購入も禁止なんですよ。
ちなみに今回の雪斎の俸禄は2000を大幅に超えていますからねぇ〜。
どうなるコトやら……。
←
↑
□
→