池田家の決断「池田恒興プレイリポート」(その3)




     四国争奪戦(1589年5月〜


あー、あけましておめでとうございます。
ほら、今日って2011年1月2日じゃない?
それにしても新年早々リプレイを読みに来るとは、

 ……他にもっとやる事があるでしょうに!(失礼

冗談はこれくらいにして、今年もよろしくおねがいします。
閲覧ありがとうございます。

中国地方の覇者、毛利家と思わぬ交戦があった岡山城での戦いは、
辛うじて羽柴軍の介入により池田軍が勝利した。
紆余曲折があったとは言え中国地方に橋頭堡を手に入れたワケだ。
だが、主力武将が岡山に集結した頃、四国で異変が発生するんだなぁ〜。

阿波周辺に長宗我部軍が侵攻、
集落を巡っての小競り合いが始まったのです。
これはいかんと池田家の主力武将は阿波へと移動、

長宗我部軍とたちまち始まる大規模な野戦。
実は岡山城を攻略している間にも
阿波、讃岐では兵力の増強と鉄砲の生産を続けていた為に、
池田軍の四国上の戦力は決して弱っていない、むしろ強くなってる。

本願寺顕如、細川幽斎(藤孝)らが足軽部隊を、
鈴木重秀、下間頼廉らが鉄砲隊を、総大将は池田輝政、
池田軍の戦争の定石になりつつある部隊編成ですな。

池田軍は阿波から東土佐へ侵攻、
周辺集落を併合しつつ長宗我部軍の動きを見る、
四国全土から長宗我部軍の兵が集結する東土佐岡豊城、
長宗我部軍もこの一戦に賭けるつもりなのだろうか、

 「若殿、号令を!」

幽斎の声に輝政が答えます。

 「足軽隊は方円の陣にて鉄砲隊を護衛、
  鉄砲隊は前方の長宗我部軍を撃てぇぇぇ!」

いかに精強な長宗我部軍と言えども、
方円の陣の足軽隊に阻まれ鉄砲隊に手出しをできなければ撃たれっぱなし、
これではどうする事もできません。しかし数なら揃えられる。

撃っても撃っても敵が寄ってくる、
戦闘としては勝っているが、このまま続くと部隊壊滅の恐れがある、
輝政は一旦後退を指示し阿波へ、再び部隊を整えて東土佐へと向かいます。

長宗我部軍もここまででした。
既に抵抗する力もなく岡豊城へと押し込まれた長宗我部軍は敗走を繰り返します。
これを好機と見たのでしょう、九州の南半分を制圧した島津軍、
それまで長宗我部の同盟相手であった毛利軍が怪しげな行動を始めました。
おそらくこの混乱に乗じて四国上陸を考えているのでしょう。

 「放った乱破の報告によりますと島津軍は宇和島から上陸を試みる模様。」

百地三太夫からの報告を受けた池田軍は先を急ぎます。
島津軍、毛利軍が四国上陸をする前に長宗我部家を滅ぼし、
長宗我部家の優秀な武将を配下に加えたい、
島津や毛利に横取りされると武将も根こそぎ持っていかれますからね。

 「ふぅ、ようやく船の揺れにも慣れたぞ。
  と、思ったら島津と毛利に挟撃されているではないか、
  あわわわ、もはや我らもここまでか?」

諦めたらそこでゲームは終了です。
輝政が指揮する池田軍は西土佐の中村城を攻略、
引き続き南伊予を目指します。

 「若殿、島津の軍勢は間もなく宇和島港に到達いたしまする。」

三太夫の報告に気は焦ります。
南伊予宇和島港へ急行、背後から長宗我部家の攻撃を受けつつ、
島津軍と宇和島にて会戦、壮絶な鉄砲の撃ち合いになったものの、
辛くも池田軍が勝利をおさめ、黒瀬城も攻略に成功しました。

しかし島津軍もこれで諦めたワケではないようです。
九州各地から兵力をかき集めて再び遠征の準備を開始、これは油断なりません。
島津軍も鉄砲技術を伸ばしていますから撃ち合いになるとどうしても被害が深刻。
もちろん、島津軍も同じで苦しい戦いだと思うのですが、
なんと、島津家、毛利家と同盟を結んでいるではないですか、

九州をほぼ制圧している島津軍、中国地方から九州北部を狙う毛利軍、
確かに利害一致してますわ、これは怖い怖い、
ここで羽柴家との同盟期間が僅かとなりました、

島津、毛利を相手に回して、
さらに羽柴、その向こうの前田、徳川を考えると無理、
ここはまだ羽柴家と仲良くしていた方が良さそうです。

 「恒興殿、わしは池田家が所有している茶器が欲しいのぉ〜」
 「(く、秀吉殿、我らの足元を見おって……。)分かりました、どうぞ」

 「おぅおぅ、これは素晴らしい名器じゃ〜。これからも宜しく頼む。」
 「ゲロ入れて渡せば良かった……」
 「ん? なにか?」
 「いえいえ、こちらこそ宜しく頼み申す。」

よし、これであと5年は背中を気にしなくても良くなった、
……いつか見てろよ、猿め……。

って、大殿がお猿さんと遊んでいる間に、
ほぼ戦う力を失った長宗我部家は
元同盟相手の毛利家に攻撃を受けているではありませんか、
四国上陸されると面倒だけど、長宗我部家、持たないかも、

 「ゲホゲホ、若殿、いま出陣なさいませ、まだ間に合いまする。」

三太夫の顔色が少し悪いようだが、
輝政は重秀、頼廉らを率いて北伊予へ急行、
長宗我部家の滅亡一歩手前で毛利軍を撃退できました。

この後、長宗我部家は池田家に滅ぼされ、
長宗我部元親をはじめとした優秀な武将を配下に吸収する事ができました。
一時は四国を制圧し天下取りの候補と成り得る勢力を築いた長宗我部家でしたが
最後は各地の有力大名に攻め続けられ、あっという間に滅んだのです。

怖い、包囲網を作ったワケじゃないけど、
実質、弱り始めた長宗我部家をみんなしてボコボコにしたんだから怖い。
こうならないように、いまのところは羽柴家とは仲良くしておこう。
そう思う恒興でした。

 「ゲロ入れなくてよかった……。」

あらたに長宗我部元親らを味方に加えたのは嬉しいが、ここで悲しい別れがありました。
四国争奪戦で足軽隊に所属し、戦法「乱破」をを駆使して敵を翻弄してくれた
百地三太夫が天に召されたのです。知略が高い彼から教えを受けたかった……。
1591年10月、前田側についた滝川一益もまた病没、
有力武将たちが相次いで亡くなる今日この頃、戦国の世も終わりへと近付いているのです。

いや、これは深刻だよ。
1591年、あと9年で関ヶ原の戦いだからね、そりゃ死ぬ武将が続出するよ。
これから先は徳川勢に味方した武将たちがメインになるんだからね、
そろそろ大殿、池田恒興も危ないだろうなぁ……

そんな状況下、またも島津軍が宇和島港へと侵攻。
今回はちゃんと準備してたからね、港の隣に砦を作って、その周囲に櫓を作って
砦の中から敵部隊を撃ちまくり、あんまり被害を受けずに勝利できました。
四国上陸を阻止し続けているけど、こっちが九州に上陸する時は苦戦するんだろうなぁ。


   〜〜〜 これまでの主な出来事 〜〜〜


 1589.05 東土佐で長宗我部家と会戦し勝利する

   .10 長宗我部家の東土佐岡豊城を攻略する

 1590.03 長宗我部家の西土佐中村城を攻略する

   .08 織田信孝を登用

   .09 島津軍が四国上陸、南伊予で会戦し撃退する

      長宗我部家の南伊予黒瀬城を攻略する

 1591.03 家宝の茶器で羽柴家との同盟5年間延長

   .06 毛利軍が四国上陸、北伊予にて会戦し撃退

      長宗我部家の北伊予湯築城を攻略、長宗我部家滅亡

   .10 滝川一益が死亡、滝川益重が後継する

      池田家の百地三太夫が死亡

 1592.01 島津勢が四国上陸を目指し宇和島港へ進軍、砦と櫓と鉄砲で撃退する

         :
         :
         :