武田菱の行方「真田昌幸 プレイリポート」(その3)




     対徳川戦線(1586年4月〜


最盛期から見たら目も当てられない衰弱しきった武田家。
今回のリプレイの主役は真田昌幸ですが、
もうひとりの主人公はその衰退激しい武田家の当主勝頼だったりします。

その主人公の勝頼さま、ゲーム開始からほとんど動いておりません。
最初から四カ国を支配している、そこそこの大名家なのに
動かざること山の如し……。

お父さんが死んだときに、それやっていれば、
ここまで疲弊することもなく、
上手く行ってたのかもしれませんが時既に遅し、
動かないというより動けないんです。

本能寺の変により織田家が分裂、
おかげで織田家の猛烈な攻撃を受けずに済んでいるものの、
三河、遠江を支配する徳川軍が元気良く武田家を脅かしているのです。

その徳川は周辺大名と同盟関係にあり、
後顧の憂いなく全力で武田と戦える絶好のチャンスを迎えているのです。
なんかムカつくけど仕方がないんです。くそぅ。

さて、これまで真田家は北信濃の上田城から上野沼田城に主力を移動させ、
武田家の上野箕輪城を通り抜け武蔵へと侵入。
武田家に負担を掛ける事無く北条勢と交戦し、
これに勝利、北条家を滅ぼし岩付城、小田原城を手に入れました。

これによって真田家の勢力圏は
武田家の領地である南信濃、甲斐、上野を取り囲むようになりました。
これでかなり守りやすくなったと言えます。
ただし、真田の領地は飛び石のように北信濃と武蔵相模伊豆にわかれており、
前線が各地に生まれ戦国シミュレーションゲームとしては
兵力を集中できないため、あまり良い状態とは言えません。

ただ、武田家としては真田と同盟を組んでいるワケですから、
北条亡き今、対徳川に全兵力をぶつけるコトが出来るハズなのに、

 「昌幸様、徳川勢が甲斐へ侵攻、躑躅ヶ崎館を奪われたとの事。」

なぜ? どうして?
それはやっぱり人材の差なのでしょうか、
防戦一方の武田家はおとなしく国力の増強に努めることすら出来ない。

 「昌幸様、徳川勢が南信濃へ侵攻、高遠城陥落との知らせが!」

おおぅ、北条を潰したというのに、
勝頼様はどんどん追い込まれ行くではありませんかっ!
気がついてみれば、武田家の所領は上野箕輪城のみ、
武田家滅亡の大ピンチです。

 「いまこそ我ら真田の立ち上がる時ぞっ!
  (勝頼の馬鹿、またリプレイ失敗したら洒落にならねぇし)

上杉勢の襲来を恐れて上田城、沼田城で募兵していたのが結構な量になってまして、
ある程度、武田家支援の為に使おうかな……と考えていたんです。
いわゆるグットタイミングってヤツですな。

 「父上、準備が整いました。いまこそ高遠城を奪還しましょうぞ!」

まぁ準備といっても例の5人、いちおー書いておくか、
真田昌幸、真田幸村、三好伊三、三好清海、由利鎌之助の
安上がりな足軽のみの槍衾之三連発大作戦なんですけどね、

1587年4月、上田城を進発した真田軍は信濃を南へと駆け抜けていきます。
途中、徳川軍の櫓や砦がありますが全部破壊しながら南へ、南へ、
当然ですが徳川軍もそれに気付いて高遠城へと集結していくワケですな。
実質、この戦いが真田vs徳川の今後を占なう良い目安となるでしょう。
ついでに武田家存亡を賭けた戦いでもあります。

徳川軍は高遠城から少し北に向かい、そこで真田軍と激突。
徳川軍は家康本人が指揮しているため結構手強いのですが、
なんにも考えず、とにかく槍衾之三を連発。
当たり前のように鶴翼の陣ですからすごい勢いで連鎖していきます。
徳川軍も槍衾で抵抗するものの勢いでは真田が勝り押しこみました。

出鼻を挫かれた徳川勢は高遠城へと反転し篭城。
ここから壮絶な攻城戦となりました。

真田軍は自らの部隊を盾に武蔵七党を攻城戦に参加させます。
武蔵七党の兵科は弓隊であり、
「猛射」という敵の士気を大幅に削ぐ戦法を使うのです。
城に篭った相手の兵力に直接ダメージを与えられるというのも嬉しい点。
こうして高遠城をなんとか手に入れた真田軍でしたが
徳川軍も粘り南信濃、甲斐での領土争いは続きます。

いつもは武田軍に臣従している諸勢力の百足衆、
次の戦いの争点が彼らの存在なのです。
百足衆の兵科は足軽隊であり「土竜攻」という戦法を使います。
これは一定時間、敵拠点の耐久力を無視し、
直接兵力にダメージを与える事ができます。

なんだ、弓隊や鉄砲隊みたいなモノか……と思う前に考えて見よう。
普段は武田家に仕えている百足衆、武田家と言えば騎馬隊。
騎馬隊といえば建築物に対する攻撃力が低い、
だけど、百足衆がいれば、
敵拠点の耐久力を無視して騎馬戦法をぶつけることができる。

   どーです、なかなか美味しそうでしょ?

真田十勇士の由利鎌之助の騎馬適性はS、
昌幸の次男である幸村の騎馬適性もS、
しかも強力な騎馬戦法である「影突」を使うことができる。
騎馬を整える余裕が出来ればぜひとも欲しい諸勢力なんです。

高遠城を攻略した真田軍は勢いをそのままに甲斐へと侵攻。
躑躅ヶ崎館の奪還と百足衆の臣従を狙います。
徳川勢もここは必死に抵抗。

 「さすが三河侍、なかなか手強いわっ!
  (あー面倒臭ぇー、はやく諦めて撤退しねぇかな?)

岡崎城、浜松城には兵馬乏しく、駿府城から援軍を繰り出す徳川軍。
この戦いで雌雄を決するつもりなのでしょう。
だからと言って、真田軍はいつもと代わりなく、
例の格安足軽ドSメンバーズを出撃させ、
その背後は武蔵七党がガッチリ食いついてきています。

オマケに相模と駿河の国境沿いに以前築城した興国寺城(支城)には、
滅亡に追い込んだ後、新たに登用した北条一族が待ち構えているのですわ。
そうです、駿府城から躑躅ヶ崎館を救援しようとしたら、
その隙を狙って興国寺城から真田の別働隊が動き出すのだっ!

 「戦いとは常に2手3手先を読んで行うものだ
 (いやぁ、綺麗に決まったな、わしってスゴくね?)

だから、どっかの赤い人とキャラがかぶるって、
まぁ、綺麗に決まったのは確か、自画自賛してもいいよね?

この戦いが徳川家にとって致命傷となりました。
真田軍が躑躅ヶ崎館を奪還した後、逃げる徳川勢を追いかけて駿河へと侵入。
興国寺城からの軍勢も合流し数万となった真田軍は
駿府城、浜松城、岡崎城を立て続けに攻略。

一時は武田家をカモにしていた元気な徳川軍でしたが、
逆に武田家しか襲うところがないというのが彼らの不幸。
武田家を必死に守る真田家の忠心が勝利を呼んだのでしょう……。
徳川家は滅亡し、家康をはじめとした優秀な家臣団は真田家が吸収したのです。

   さて、そのころ、武田家は……。

上野箕輪城しか持っていない武田家ですが、
北、西、南を同盟相手に囲まれ東に領土を拡大するしかなくなりました。
で、その相手が宇都宮家。

箕輪城へと集結せざるを得ない武田軍は、
自然とほぼ全兵力を持って宇都宮城へと侵攻。
一時は武田家存亡の危機を迎えたのですが、めでたく宇都宮城を攻略。
これで領国が二ヶ国に増えました。いいぞ勝頼!

武田家を脅かす北条、徳川を葬った真田軍。
武田家も再起をはかっての宇都宮城攻略、
戦国時代の運命は大きく変わり始めたのでした。
以下次回、感動の完結編へ……。


     〜〜〜主な出来事〜〜〜


  1586.04 武田家の甲斐躑躅ヶ崎館を徳川勢が攻略

    .10 武田家の南信濃高遠城を徳川勢が攻略

   87.08 南信濃へ侵攻し徳川家の高遠城を攻略するも百足衆を巡り交戦が続く

   88.07 甲斐へと侵攻し徳川家の躑躅ヶ崎館を攻略する 武田家残り一ヶ国

    .同 武田家は上野箕輪城から出陣し宇都宮家を滅ぼし二ヶ国に回復

   89.05 駿河へと侵攻し徳川家の駿府城を攻略する

    .08 遠江へと侵攻し徳川家の浜松城を攻略する

    .11 三河へと侵攻し徳川家の岡崎城を攻略、徳川家滅亡