武田菱の行方「真田昌幸 プレイリポート」(その1)




     武田菱の行方(スタート前〜


1575年夏、武田軍は織田徳川連合軍の鉄砲により長篠にて惨敗を喫する。
それまで付き従った優秀な家臣団は崩壊し以後、武田家は急速に力を失っていった。
その後の武田家の衰退は皆さんの知っている通りです。
1582年、武田勝頼の死と共に数年前まで戦国最強と謳われた武田軍は滅亡。

こうして戦国史より消えてしまった武田菱を
なんとか守りたいというのが今回のリプレイのテーマです。
担当する大名は、武田が滅んだ後も北条や上杉、徳川、豊臣と主を替えながら、
なんとか生き残り、関ヶ原へと向かう徳川秀忠軍を上田城で足止めした真田昌幸です。

関ヶ原後、高野山麓九度山に流され、そこで永眠した真田昌幸ですが、
その家名は長男信幸により存続し、
その武名は次男幸村の大阪の陣での戦いで日本一のつわものと賞されます。
表裏比興者と言われながらも真田昌幸は、
他の多くの戦国武将が出来なかった家名と武名を後世に残したのです。

しかし「表裏比興の者」ではなく、
武田家の存亡を賭けて戦う忠臣として生きる道を目指すのが今回の目標。
1582年1月スタートのシナリオ「夢幻の如く」で真田家を選択し、
武田家が滅びないように、滅ぶ可能性がないように、
まぁ、それがどんな形になるのかは解りませんが、
とにかく武田勝頼が武田家として勢力を保持できるように頑張るのです。

この時期武田家には、あれほどいた優秀な武将は無く
武将一覧を見ても勝頼本人が使える武将として残っているだけ、
この年の春に織田、徳川、北条に攻め込まれ滅亡してしまう武田家だが、
なんとかこの苦境を乗り越えれば「本能寺の変」により
最大の敵となろう織田家が分裂し生き延びる事が出来たかもしれない。

もちろん歴史にIFは無いし、
もし生き延びたとしても、この先は苦しい戦いが続く事が予想されます。
だからこそ、真田家が主家を守るべく立ち上がるのです。

それではもう一人の主人公、武田勝頼についても少し考えて見ましょう。
武田信玄の四男、戦国最強とも言われる武田家を一代で滅ぼした暗愚な後継者。
おそらく、一言で彼を説明するならこんな感じになってしまうと思います。

ですが、勝頼は信玄より受け継いだ領土を僅かながら広げています。
信玄が攻略できなかった高天神城を攻め取り、
長年のライバルであった上杉家の後継者争いで景勝と同盟を組みます。
また家康の正室である築山殿に調略を仕掛け、
信長に危機感を与え、松平信康を切腹へと追い込んでいます。

残念ながら家康は度重なる調略を耐え織田との結びつきを優先し、
長篠の戦いで、それまでの仕返しに成功したのですが……、

勝頼は、このように軍事、外交、策略のセンスが無かったワケではないのです。
むしろ本人は父同様、あるいは更にその上を行く、
戦国最強軍団の総帥、戦国最強の武将になりたかったのではないでしょうか?

ただ問題がありました。これらの活動は、
信玄の遺言では「国力の回復を待つ」だったのに対し、
偉大すぎる父を越えたいと焦ったのか、
それとも若さが判断を誤らせたのか、
信玄の遺命に従い出陣を反対する重臣たちを振り切っての行動だったのです。

甲信地方は信玄の政策、領地経営によりマシにはなったものの、
実のところそれほど裕福な領地ではありませんでした。
自らの生死が領地内外に漏れる事を恐れていた信玄は、
国力が疲弊しているコトを心配していたのでしょう。

信玄という強烈なカリスマに仕えた重臣たちは
信玄の遺命の意味を理解していたのでしょうが血気に逸る勝頼は、
戦果をあげることに執着していたのかもしれません。

かくして1575年に長篠で大敗し、1582年に滅びる武田家ですが、
戦果に執着していた勝頼がギリギリのラインでそれに気付き、
家臣団をまとめ直し、領地経営に隠れた才能を発揮したとしましょう。

1582年1月スタートのシナリオ「夢幻の如く」で武田家の支配国は4つ、
甲斐(躑躅ヶ崎館)/南信濃(高遠城)/上野(箕輪城)/駿河(駿府城)です。
その内、上野は真田家が駐留する支城(沼田城)があります。
主人公である真田家の支配国は1つ、北信濃(上田城)
しかし支城(沼田城)を上野に持っているので正確には1.5国と数えても良いでしょう。
この状態から武田家の存亡を賭け武田勝頼と真田昌幸は戦乱の時代に立ち向かいます。

では、条件を簡単におさらいしてみましょう。

   ・武田家(武田勝頼)を存続させる。

   ・難易度上級/寿命史実/歴史イベント全/架空息子姫無/伝承イベント無

   ・全国モード「夢幻の如く」1582年1月スタート

   ・担当大名家は真田家

ちょっと待って、寿命で勝頼が死んだらどうしよう?
医者でもない真田昌幸に勝頼の寿命を延ばせるワケがない。
同盟延長の条件に寿命延長の家宝を渡すって手もあるけど、
まぁ、病気や寿命で死んだら仕方ないよね……。
というワケでゲームスタートです。


     とりあえずプレイしてみる(1582年1月〜


まず、現状を把握しなければ始まらない。
我らが真田家は武田家と同盟を組んでいる。
そしてその武田家は上杉とも同盟を組んでいる。

ぱっと見た感じ、武田家にとって北側はあまり気にしなくてもよさそうだ。
同様に真田家にとって南側は武田と接しているワケで気にしなくてもいいよね?
現時点での戦力比を考えると真田家は非常に小さな戦力。
武田を南側の防波堤として北へ東へ向かうのが常套手段だと思う。

 「そして何より早急に手駒が必要だ。
  (武将足りなさ杉、あと30人くらい欲しいよな。)

真田昌幸やその子供たちは非常に優秀な能力値を誇っていますし、
矢沢頼綱、頼康父子もなかなかの能力を持っています。
ただ、問題は武将の数なのです。
あ、いちおー現在の手駒をお知らせしておこう。

   武将名   統率 武勇 知略 政治 足軽 騎馬  弓 鉄砲 兵器 所持戦法

   真田昌幸   97  76  98  91  S   A   B   C   B  火牛
   真田信幸   80  62  75  88  D   C   B   A   C  鼓舞

   真田幸村   98  108  89  36  A   S   D   C   C  影突
   矢沢頼綱   74  70  61  68  B   B   C   D   D  鎮静

   矢沢頼康   71  75  48  49  B   B   D   D   B  突撃之三
   鈴木重則   64  75  23  15  C   B   D   B   D  突撃之一

どんなに優秀な武将がいようと、それが1人や2人では意味がない。
ある程度の人数がいないと内政に軍事にと色々問題が発生するワケです。
内政では建築日数に時間が掛かるし、
軍事では陣形を組むために最低3人は必要だからね。

なぜ急ぐのか? それは本能寺の変で織田家が分裂するとは言え、
その後の羽柴家、東海に強力な勢力を誇る徳川家。
関東に地盤を置く北条家がいつ武田領に攻め込んでくるか解りませんから、
少しでも早く、我らが真田家が動き出さないといけないのです。

んで、浪人として流れてくる武将を待っているのでは、
手駒が揃うのにも時間がかかる、手っ取り早く武将の数を増やすには、
どっかの勢力を潰してしまうのが一番。

   そ、お隣の上杉家です。

上杉景勝、直江兼続、この世代では非常に優秀な能力値を持っていますし、
領土欲が無かった謙信公のおかげで上杉家は大きな勢力にはなっていません。

もうひとつ、織田家が分裂した時に
北陸に割拠する柴田家を滅ぼす為に北陸への道を開いておきたいのです。
柴田勝家は寿命で死ぬとして前田利家はまだまだ生きます。
彼も配下武将に欲しい。

更には新発田城を東北地方へ侵攻する為の橋頭堡にしたい。
東北地方はいまだ群雄割拠状態。
1つ1つの勢力が小さいので潰すにも楽ですし武将の駒も増やせる。
真田昌幸にとって上杉家を滅ぼすというのは色々な意味で美味しいのです。

まぁ、そんな上杉家ですが、もちろん真田家よりは強力なので、
一気に攻め滅ぼすなんてコトは出来ません。
急ぎたい、急ぎたいのに戦うには高いリスクが伴う、
うーん、面倒だがちょっと内政して国力を蓄えるか……。
それまで武田には頑張って貰わなければ……。

まぁ、武田と接する北の勢力はウチだから
武田としては戦力を南へ南へと集結させればいいんだ。
なんとか持ってくれるだろう。

そんな感じで数ヶ月……。
運命は時代の大きな流れに飲み込まれていきます。
「本能寺の変」イベントが発生。

魔王として戦国時代を駆け抜けていった信長はここで姿を消します。
現時点での最大勢力が小さく分裂し、
他の地方勢力にも天下を臨むチャンスが生まれました。
それはもちろん上杉家にも真田家にも武田家にも言えるコト、

真田昌幸はついに同年9月に軍を発し南越後へと侵攻。
対する上杉軍も反応が早く南越後街道沿いで交戦が開始されました。
戦いそのものは真田昌幸の「火牛」が決まって無事勝利。
春日山城へと雪崩れ込みたいところですが、こちらの被害も甚大。
一旦は上田城へと引き上げるのでした。


     武田軍壊滅(1583年8月〜


 「うーむ、上手くいかないものだな。
  (あー、面倒臭ぇぇ〜思ったより強いぜ、上杉)

真田昌幸ほどの知恵者でも空回りすることはあります。
本当に空回りしているのは昌幸ではなくわたしなんですけどね。
昨年の南越後での戦いで傷兵を吸収し、それなりの兵力を得たものの、
手駒不足は続いており、大きく動き回るコトが出来ずに悩んでいたところ、

 「父上、人材にお困りの様子、それがしに心当たりがありまする。」

息子の幸村が得意気にやってきたではありませんか、

 「なんと、それはまことか!?
  (つーか、心当たりがあるなら早くつれて来いよな、ったく)

いわゆるひとつの「真田十勇士」イベントってヤツですな。
猿飛佐助との再会、そして佐助の人材集めと繋がるイベントで、
その名の通り10人の多種多様な才能を持った勇士が集うイベントです。
以下は真田十勇士の能力値ね。

   武将名   統率 武勇 知略 政治 足軽 騎馬  弓 鉄砲 兵器 所持戦法

   猿飛佐助   33  87  72   4  B   C   S   D   C  乱破
   由利鎌之助  57  87  57  38  A   S   B   C   C  突撃之三

   三好伊三   57  83  43  47  S   A   B   D   C  槍衾之三
   三好清海   63  85  53  49  S   A   B   D   C  槍衾之三

   筧十蔵    62  81  85  53  B   C   C   S   C  連撃之三
   穴上小助   78  72  82  26  B   A   D   B   C  籠絡

   望月六郎   59  66  72  32  C   C   C   A   S  連撃之三
   根津甚八   75  76  48  47  B   D   B   A   C  鉄砲強化

   海野六郎   72  65  88  52  B   B   A   B   C  同討
   霧隠才蔵   39  86  76   8  B   C   S   D   C  混乱

なんていうか、軍を率いるには難がある人たちです。
それでも各人得意な得物を持っているんで兵科適性にSが混じったりしてますね。
一個人としての戦闘力はなかなかですが前述通り統率力は微妙だったりします。
彼ら十勇士が集結するまで佐助は上田城で人材を捜索し続けるコトに……。

 「なかなかの豪の者、頼もしいものよ。
  (なにコイツら、政治力低ぅっ! 馬鹿ばっかりじゃねぇか)

まぁ、軍勢を率いるのが苦手なら統率力の高い真田一家と同じ部隊に配置すればいいや。
とりあえず労なくして武将が揃うなら誰でもいいやと楽観視。
ですが、なんだか武田領の方が騒がしくなってきました。

 「父上、甲斐に北条勢が攻め込んだとの報告が届いております。」

幸村直属の忍びが持ち込んだ情報によると、
武田軍はどうにかこうにか北条軍を押し返した様子。
ほっと胸を撫で下ろす間もなく、別の情報が入ってきます。

 「駿河にて徳川の軍勢が武田勢を打ち負かしたとの報がっ!」

うそん、早い。早いよ勝頼様。
こっちはまだ準備が整っていないもん。
十勇士だってちゃんと揃ってないんだもん。

その後はバタバタと崩れ落ちるように武田家の敗戦が続きます。
何度か南信濃へ出陣し高遠城を徳川の手から守ったものの徳川が好き放題の進撃。
北条軍も触発されたのか兵力が枯渇した武田家に襲い掛かります。

 「申し訳ございませぬ、勝頼さま、守りきれない!
  (つーか、あんだけデカい領地持ってるくせに何とかしろよな。)

上杉勢を叩き、柴田家(後に前田家)を潰して武将大量ゲットの予定が、
ガラガラと大きな音を立てて崩れていきます。
それに対して元気なのが徳川軍と羽柴軍。

後方の憂いがない徳川としてみれば弱った武田は絶好のカモでしょうし、
秀吉の家臣たちはこの時代に大活躍した人材ばかり、
当然のように躍進していくのです。

前田家を叩くべく北陸へと侵攻する真田勢ですが上杉に苦戦し、
ようやく越中富山城を手に入れた時はもう時代の趨勢が決まっていました。
西日本を制圧すべく毛利と手を組んだ強大な羽柴家。
東海から甲信地方を全力で駆け上がる徳川家。

そしてついに、1584年10月、高遠城での徳川vs武田&真田同盟軍の戦いは、
徳川の勝利で幕を閉じ、戦国最強の呼び声高い武田軍は滅んだのです。
リプレイとしては大失敗。

では、リプレイのお題は無視して真田家として今後は生き延びれるか?
多分それも難しいでしょう。
高遠城付近での度重なる交戦によって真田軍も大きく疲弊しました。
このまま続けたとしてそう遠くない未来に徳川との決戦が始まるでしょう。

上田城に篭って戦うにしても北を上杉、東を北条にふさがれた状態です。
守りきる自信なんてありませんし、富山城へと逃れたとして、
飛騨をも飲み込んだ徳川勢に追われるだけでしょう。
リプレイとしても真田家としても終わってるんです。

やはり弱小大名の真田家としては大きな勢力、
この時代で言えば北条や徳川と仲良くやっていくのが利口なのです。
ムリして武田家を守ろうとしてもジリ貧なのは決定的。
このまま真田家も滅びていくのです……。

   えっ!? このまま諦めるの?

……さて、今回は徳川と北条にボコボコにされ、
武田家を滅ぼされ、わたし自身も窮地に追い込まれましたが、
だからといって諦めるとは一言も言ってません。

「本能寺の変」イベントが起こる。
「真田十勇士」イベントが起こる。
それを確認できただけでも大きな収穫です。
徳川と北条の動きもなんとなく掴めましたし、
毛利と同盟を組んだ羽柴が東日本へ雪崩れ込む気配はないようです。
(羽柴軍は畿内を統一後、四国へと渡って行きました。)

ここまで来たら同じ失敗を二度と繰り返さない。
実のところ、この後、最初からプレイしなおし、既に危機を脱出しているのですが、
今回はここまで……真田軍の鬼神の如く進撃する様は次回に持ち越しです。

 「このままでは終わらぬ……。
  (武田を守る? ムwwwリwww、寝言は寝て言えっつーの。)


     〜〜〜主な出来事〜〜〜


  1582.06 本能寺の変 信長死去 織田家中は分裂

    .09 南越後へ侵攻し上杉勢を壊滅させ傷兵を吸収

   83.08 猿飛佐助登場(真田十勇士イベント)

    .10 武田家の甲斐躑躅ヶ崎館を北条勢が攻撃するが撃退

    .12 武田家の駿河駿府城を徳川勢が攻略

   84.03 武田家の甲斐躑躅ヶ崎館を徳川勢が攻略、その後徳川軍の遠征を幾度と無く受ける。

    .04 上杉家の越中富山城を攻略

    .05 武田家の上野箕輪城を北条家が攻略

    .06 柴田勝家死去 前田利家が後継する

    .10 武田家の南信濃高遠城を徳川勢が攻略、武田家は滅亡する