奥州乱るで心も乱る「津軽為信 プレイリポート」(完結編)




     奥羽激震(1605年2月〜


西陸奥、東陸奥を統治下に置き、陸中の一部に食い込んだ領地を持つ津軽家、
羽後と羽前の北部を支配下に置き群雄の動きを眺めている最上家、
一時は南部家と同盟を組んでいたが、その南部家を失い三方を敵に囲まれた伊達家、
羽前の南部と陸前の南部を支配下に置き伊達家と陸前を巡る小競り合いをする上杉家。

   不自然な奥羽の勢力争いは静かに、しかし確実に動いてた。

陸中九戸城を有する津軽家は後顧の憂い無く、
陸奥の兵力を全て動員し陸中全域を支配下に治めるべく南下を開始した。
それまで困窮に喘いでいた津軽家だが、
南部家を降し数年間の雌伏の時を耐え満を持しての行軍であった。

何故このタイミングでの出陣なのか?
それは陸前へと侵攻した上杉軍に合わせた結果だった。

これまでの上杉との小競り合いで奥羽一の人材を誇る伊達家も疲弊し、
陸前北部の岩出山城を守りきれる力を失っていた。
このまま放っておけば上杉は更に勢いを増し陸中高水寺城へも侵攻が予想される。
そうなっては上杉の一人勝ちになってしまうであろう。

 「殿、全部隊に攻城櫓を配備しました。」

沼田祐光の声に為信はゆっくりと頷いた。

 「うむ、これより伊達家の高水寺城を攻撃する。
  伊達は手負い、必要以上に恐れる事は無いが、本当に恐ろしいのは上杉軍だ。
  伊達と戦う事だけではなく、その先の上杉軍に十分留意せよ。」

津軽軍の相手は疲弊した伊達軍だけではない、
その向こうにいる上杉にも同時に牽制を入れなければならないのだ。

さて、岩出山城攻略に取り掛かった上杉軍は半ば順調に戦を進めていた。
伊達軍の抵抗は既にか細く高水寺城を津軽軍に攻撃されているが故、
後詰の部隊も期待できない。

1605年正月、伊達家は岩出山城を失い、
これまた津軽家の攻撃に晒されている高水寺城へと已む無く逃げ込んだ。
1605年2月、逃げ込んだ先の高水寺城は津軽の攻城櫓から降り注ぐ矢に屈する。

 「政宗殿、白装束で投降するとは潔いのう。」
 「は、この政宗の命は為信様に委ねるとしましょう。」
 「ならばその力を奥州の為に貸してはくれぬか?」

天下にその名を轟かした独眼竜は津軽為信に臣従する事となる。
伊達家の所領を上杉家と津軽家で分け合ったかに見えたこの一連の動乱には
まだ続きが残っていた。

 「御屋形様、最上に背後を衝かれるとはこの兼続一生の不覚。」
 「……よい、あの状況では伊達との衝突は避けられなかったはずじゃ。」

それまで沈黙を保っていた最上がついに動き出したのである。
最上軍は山形城を出陣し上杉領南羽前米沢城へと急襲を仕掛けた。
対する上杉軍もすぐさま各地からの援軍を送り込んだのだが、
最上義光の見事な采配で米沢城は陥落、
援軍として到着したはずの上杉勢部隊は、
いきなり敵地となった米沢城下で次々と壊滅させられたのである。

上杉にとって、この敗戦が痛恨の一撃となった。
米沢で大きな損害を受けなかった最上軍はさらに南陸前利府城へと侵攻。
瞬く間に制圧したのである。

出羽の老獪な策士、最上義光の罠に飲み込まれた上杉家であったが、
津軽為信もその先を見据えていた。
連戦続きで兵糧、軍資金ともに乏しい津軽軍だが、
残された兵力を動員し、上杉景勝の逃げ込んだ岩出山城を攻撃、
上杉の意地を見せる兵達に苦戦するも1606年3月に落城、
こうして上杉家の諸将は津軽家に臣従したのであった。

 「殿、わたしの失策でこのような事になりました……。」
 「……もうよい、兼続、あとは津軽殿のお手並みを拝見するとしよう。」

   この大きな動乱によって奥羽は二つの巨大な勢力が残った。

軍資金、兵糧ともに豊富な最上家は、
羽後檜山城、北羽前山形城、南羽前米沢城、南陸前利府城を有した。
軍資金、兵糧ともに不安が残る津軽家は、その代償として優秀な家臣団を持ち、
西陸奥大浦城、東陸奥三戸城、陸中高水寺城、北陸前岩出山城を有する。
奥羽を巡る運命の歯車はまた次の展開を求め進んでいく事になる。


     戦国最後の戦い(1608年3月〜


天下は徳川幕府が治め徳川家と徳川に従う大名家のみが乱世を生き延びた。
ここ奥羽でも津軽、最上は徳川家に従う構えを見せていた。
奥羽に残ったのは津軽家と最上家のみ、そしてこの両家は友好関係ある。
これでこの冷たい大地にもようやく平穏な時間が流れるはずであった。

1608年3月、まだ朝靄に包まれる大浦城に最上家の使者が訪れた。
その使者はまだ同盟期間が残っているというのに、
一方的に同盟を破棄すると通告しにやってきたのだった。

 「やはり動いたか、最上義光。」
 「殿は最上の動きを読んでおられたのですか?」

為信の顎鬚に覆われた口が微かに笑みを浮かべた。
策謀に優れる最上義光ではあったが、為信もまた北の梟雄である。

 「祐光、すぐに各城の城主に守りを固めるよう通達いたせ。」
 「は、仰せの通りに、」

奥羽をふたつに分けた戦いに津軽の民は怯えるのだった、が、
それ以上に混乱していたのは出羽の民であった。
平和が訪れたと安心していたところに自国の領主がその平穏を自ら壊したのだ。

 「伯父上も歳を召されたようだ。愚かな事をする。
  よいか、為信様の攻城櫓を前面に押し出せ、伊達の者は我に続け!」

押し寄せる最上兵に対し、
岩出山城に残っていた旧伊達家臣団は政宗と共に鉄砲隊として出陣。
攻城櫓から降り注ぐ矢の後ろから鉛の弾が戦場へと飛び込んでくる。
焦った最上兵は攻城櫓を壊しに掛かるが、その無防備な姿に容赦なく銃撃が繰り返される。
岩出山城周辺は倒れ逝く最上兵で埋め尽くされ、まさに地獄絵図のようであった。

 「えぇぃ、何をしておる! 怯むな!
  津軽には兵糧が不足しておる。少し時間が経てば我らが有利になる。」

確かにこの時点では津軽軍の方が兵糧に難があったのだが、
混乱した最上の民は義光に対する信用を無くしていた。
為信は次の一手を放つ、

 「義光殿、いつまで余裕でいられるか?」
 「殿、間者の手配は済みました。」
 「うむ。」

津軽家は最上領に間者を放ち民を扇動し一揆を誘発させた。
津軽との戦いだけに集中できなくなった最上軍は急速にその力を衰えさせ、
その後は敗走に次ぐ敗走を繰り返した。

最上家が同盟を一方的に破棄してから僅か2年。
奥州の半分を手にしていた最上家は檜山城にて津軽軍に滅ぼされた。
その最期は民に見捨てられ、兵に裏切られ、
出羽の驍将と呼ばれた武将とは思えぬ惨めな最期であったという。

 「殿、奥羽はこれで全て我らが支配下となりましたが、
  これから天下をお目指しになりますか?」

祐光は少し悪戯っぽく主君にお伺いを立てた、
為信もまた笑みをこぼして言う。

 「天下は既に徳川殿の下、治まっておる。
  これから津軽の民が平穏に暮らせるか否かは我らの政次第であろうな。」

戦国時代末期に北日本に吹き荒れた動乱の嵐は、
こうして静かに幕を閉じたのであった。


     〜〜〜主な出来事〜〜〜

   1600.01 群雄覇権モード「奥州、乱る」(上級)スタート。

     .07 安東愛季を登用。また九戸実親が南部家を出奔。

   1601.04 戸沢盛安を登用。

     .09 凶作が西陸奥を襲う。

   1602.06 津軽軍、南部領東陸奥へと街道敷設を開始。

     .11 南部領東陸奥の三戸城を攻略する。

   1603.06 南部領陸中の九戸城(支城)を攻略する。南部家滅亡。

     .09 凶作が陸奥全域を襲う。

   1604.04 伊達家と上杉家の抗争が始まる。

   1605.02 伊達領陸中へ侵攻し高水寺城を攻略する。伊達家滅亡。

     .05 最上家が上杉家に侵略を始める。

   1606.03 上杉領北陸前へ侵攻し岩出山城を攻略する。上杉家滅亡。

   1608.03 最上家が同盟を破棄。

     .06 最上領南陸前へ侵攻し利府城を攻略する。

     .12 最上領南羽前へ侵攻し米沢城を攻略する。

   1609.05 最上領北羽前へ侵攻し山形城を攻略する。

     .12 最上領羽後へ侵攻し檜山城を攻略する。最上家滅亡。

     .同 津軽家、奥州を統一する。


今回は嫌に凶作が連発しやがった。
特に序盤、集中的に自領で凶作が発生し思うように軍勢を動かす事が出来なかった。
おかげで終始兵糧の在庫には気をつけていた感じがします。

群雄覇権モードは各勢力がある程度の技術を既に獲得しており、
これから取得する技術についても全国版より条件が軽減されています。
(資源が1つ必要な技術は資源無しでもOK、資源が2つ必要な技術は資源1つでOK)

おかげさまで天道では強力な攻城櫓を
最初から生産できるという嬉しい特典が得られました。
技術は持っていても所持金不足であんまり大量生産できませんでしたが、
ま、それはそれ、奥羽統一が終わってしまえば良い思い出です。

これで初級の全国モード、上級の群雄覇権モードを終えたわたし、
そろそろ全国モードの上級デビューの時期ですかねぇ?