古狸退治「石田三成 プレイリポート」(完結編)




     細川家と前田家を滅ぼせ!(プレイスタート〜1604年9月)


……今日ってドラクエ9の発売日?
そうか〜、世の中の多くの人は今日からドラクエするんだねぇ〜。

そんな日の更新ですが、
前回の大敗北が悔しくて仕方が無い。
時間が経てば経つほど徳川家と石田家の戦力差は開いていきます。
支配している城の数が違うんだから当然といえば当然なのですが、

それでも上杉景勝でのプレイでは
初級とは言え徳川相手に十二分の戦いができたワケで、
前回お話した通り、いかに多くの武将は早急に集める事ができるのか?
これに掛かっていると思うんです。

あ、ただの武将じゃありません。
それなりに賢かったり、強かったりしないとダメです。
徳川軍の武将たちに歯が立たないと意味ないのです。
そういう意味では東北に残されている小勢力を飲み込めるだけ、
上杉の方が楽なんだよなぁ〜。

愚痴っていても先に進まないので
言い訳はコレぐらいにしておきましょう。

豊臣家を守るかどうかは別問題として、いかに石田家で徳川軍と戦うか?
石田家にとって最初に相手できる勢力は前田家、細川家、そして徳川家、
細川家は毛利家と接していて、石田家と毛利家はおなじ西軍。

つまり全力を持って細川家を滅ぼした後、
どんなに石田軍が疲弊していても攻め込まれる事はありません。
プレイスタートと同時に細川家の弓木城へと攻め込んでみましょう。

と、いうワケで、初期設定の兵士を敦賀港へと集結させた後、
その全兵力を持って弓木城へと攻撃を仕掛けました。
このどさくさに紛れて徳川軍が岐阜城を攻撃してきましたが無視、
現段階で相手をしている余裕はありません。

弓木城を攻略したら更に進軍し細川家最後の城、鳥取城を攻撃します。
この段階で1601年の3月、開始数ヶ月で細川家を滅ぼした事になります。

そしてココで一気に退き返します。
次の目標は北陸の前田家、金沢城、七尾城、富山城。
最後に輪島港を攻略し前田家は滅亡。
また、長浜城、佐和山城、岐阜城の中間地点に大垣城を築城しています。
この時点で1602年の8月、ちょうど開始から2年です。

   では、この段階で徳川軍はどうなっているのでしょう?

しっかり前線に兵力を集中させており、真田家の上田城を攻略、
もうちょっと東に目を向ければ上杉家とも交戦しており、
上杉家の命運もコレまで……。

準備がすっかり整った最前線の岐阜城から
石田家の大垣城を攻撃するほどの余裕っぷり、
コッチはひぃひぃ言いながら対応しているっていうのに、

岐阜城は堅城と化し攻略は困難。
北陸から東北地方を目指そうにも、
春日山城は徳川家によって堅固な城へと生まれ変わっていました。

腹いせに前線から一歩後退した上田城へ攻撃を仕掛けてみたものの、
上田城周辺は敵勢力のど真ん中、どうするコトも出来なくなり、
後が続かず八方塞状態です。

結局前回のプレイと同様に手詰まりとなりました。
徳川家の前線には兵馬が十分に整っており、
各地にバランスよく智将が散っています。
これ以上、下手に手を出せば大怪我するのは目に見えています。

   んー、なんでこんなに苦しいのだろう?

いつもは最後の方に年表を書いておくのですが、
今回はここに書いておきます。
年表の後にもまだ続きがありますのでご注意ください。


   〜〜〜これまでの年表〜〜〜

1600年12月 細川家の弓木城を攻略。

1601年 1月 徳川軍が岐阜城を攻撃し、石田家は岐阜城を放棄。

      3月 細川家の鳥取城を攻略。細川家は滅亡。

     11月 前田家の金沢城を攻略。

1602年 4月 前田家の七尾城を攻略。

      6月 前田家の富山城を攻略。

      8月 前田家の輪島港を攻略。前田家は滅亡。

     10月 徳川軍が長浜城を攻撃し、石田軍はこれを撃破。

1604年 9月 徳川家の上田城を攻略。


細川家、前田家を滅ぼして手にした優秀な武将って細川幽斎くらい、
その手間を考えたら細川家を滅ぼしてもあんまりお得って感じはしない。
彼は確かに優秀なステータスを誇っているけど、
(政治力が高くて、統率、知謀がそれなりに高い)
戦局を大きく変える程の力はもっていないよね。

今回は運良く真田幸村がコチラ側に流れてきてくれたので登用。
また、下間頼簾も浪人していたので拾う事が出来た。
こうして考えると前回よりよっぽど武将の駒の数はそろっているのだ。
それなのに苦しい、なんでだろ?

まずは徳川家の築城技術が高いので、
拠点を巡る攻防が始まると大きく損害が出てしまう。

これは豊臣家や石田家も同じコトが言えるのだが、
年代が新しいほど初期技術は当然の如く高いモノなる。
ちなみに、このシナリオの築城技術は石田家も徳川家も同じ。
だったら武将の数も質も高い徳川家の方がよっぽど有利。
城の改築だってあっという間なんだよね。
それで城が堅くなれば堅くなるだけ、
寡兵での電撃的な攻撃は出来なくなる。

   ……ん?

なんか引っかかるな。
今回、電撃的な攻撃を仕掛けたのは細川家、
これを徳川家に仕掛けた場合どうなるんだろ?
ちょっと気になるね。最初からやってみよう。


     豊臣家の防御を放棄する(プレイスタート〜1602年10月)


豊臣家を守るのを放棄し電撃的に徳川家の城を攻略する。
いままでは豊臣家が徳川家の攻撃によって滅亡するのではないかと、
近江付近にどっかりと腰を落ち着けての戦い方だったと思います。

   今回は守る事を考えない方針でやってみます。

開始早々に全兵力を岐阜へと集結させ一気に清洲城を攻略。
この時点で北庄城は前田家に攻撃され城を失うけど無視します。

石田軍は清洲城より徳川家の岡崎城へと侵攻しコレまた速攻で攻略。
これに対し徳川軍は石田家の岐阜城に攻撃、岐阜城も失いました。
徳川軍も行軍スピードを上げてきたのか、その勢いのままで長浜城まで侵攻します。
ま、無視しますけど、

石田軍は岡崎城より更に東進し浜松港、駿府城を順次攻略、
なんとなく徳川軍の出鼻を挫いた感じで順調っぽいのですが、
次の目的地は小田原城、これは堅い。堅すぎる。

守備兵は2千と少ないものの、ご存知の通り小田原城は天下の堅城。
これを迂回して浅野家を攻略したとしても、
その次の目的地は江戸城。これまた堅城です。

   ここまで来たらやってみるのみっ!

小田原城へと攻撃を仕掛けて攻略することに成功しました。が、
兵糧は途切れるし、徳川軍は江戸城に集結を始めるし、
とてもじゃないが、これ以上の侵攻は難しいようです。


   〜〜〜これまでの年表〜〜〜

1601年 1月 徳川家の清洲城を攻略。

      5月 前田家が北庄城を攻撃、石田軍は撤退。

      6月 徳川家の岡崎城を攻略。

      7月 徳川家が岐阜城を攻撃、石田軍は撤退。

      9月 徳川家が長浜城を攻撃、石田軍は撤退。

     10月 徳川家の浜松港を攻略。

1602年 3月 徳川家の駿府城を攻略。

      8月 徳川家の小田原城を攻略。

     10月 徳川家の攻撃により真田家が滅亡。


即滅亡という最悪な状態からは抜け出せるものの、
どうも、徳川家とガチンコ勝負になると勝てないという状態が続いています。
なんか調子が狂っちゃってるなぁ〜。

じゃぁ、石田家で天下統一は出来ないの?
いやいや、まだ可能性はあります。

   高山城(徳川)→富山城(前田)→春日山城(徳川)

このルートを使えば東北へと逃げ込めると思うのです。
東北の小勢力を一気に併呑すれば……。
上杉景勝リプレイと同じ状況を作り出せそうな気がします。
ちなみに同シナリオで真田家をプレイするとしたら、
いきなり春日山城を攻撃すれば、
上杉景勝リプレイと同じ状況を作り出せるでしょう。

即滅亡というワケではありませんが、
じわりじわりと圧倒されていく苦しさを楽しむには丁度いい勢力。
それが石田家、皆さんにもオススメしておきたい勢力です。

とは言うものの、非常に悔しいのですが、
さすがに3回連続で失敗となるとモチベーションが下がりますわ。
これは、ちょっと簡単な大名家で調子をつけておきたいところです。
つーワケで次回は余裕がある勢力でお会いしたいと思います。

久しぶりに新キャラ登場かっ!?