古狸退治「石田三成 プレイリポート」(その1)




     古狸退治(スタート前〜


うーむ、三国志9PKを押入れの最深部で発見しインストールしたものの、
いざプレイしようかと思ったら三国志9の雰囲気なんかもスッカリ忘れてまして、
ありとあらゆる各勢力にボコられてしまいました。

こりゃチュートリアルからやりなおしだな……ってくらいにボコスカウォーズなので、
(古っ! あーこりゃもう、わかる人だけわかれば良いやっ♪)
リプレイとして作品を残すにはもうちょっと時間が掛かりそうです。
と、言うワケで今回も「信長の野望【革新】PK」です。

えーと、これはもうプレイそのものが終わってまして、
ノートにメモっている年表から文章を起こすだけの作業で済みます。はい。

今回のネタは1600年の8月スタートの
「関ヶ原合戦」を石田三成でプレイしようというモノです。
もちろん盟友である西軍諸国とは友好関係を持ちつつ、
最終的に豊臣家と石田家の連立政権を目指すのが目的です。

さて関ヶ原の戦いと言えば歴史の教科書にも出てくる有名な戦いです。
日本人なら誰でも知っていますので説明する必要はありませんよね?

いちおー軽く解説を少し、

時は戦国末期、豊臣秀吉とその盟友である前田利家が浄土へと旅立つと、
五大老のひとりである徳川家康が待ってましたとばかりに好き勝手をはじめ、
同じく五大老の上杉景勝と対立するようになります。

上杉に叛意ありと徳川家康は上杉討伐に向かいますが、
上杉に呼応した石田三成もまた西軍諸将を率いて挙兵するのです。
それを知った家康は軍を引き返し関ヶ原で決戦が始まるワケですが、
このゲームシステムでは関ヶ原周辺に各将が集まって大激突とは行きません。

石田家の所領は佐和山城、長浜城、岐阜城、北庄城の4つに敦賀港のみ、
頼りにしている毛利軍は普通に中国地方に勢力を持っており、
優秀な武将を数多く保有する島津軍も九州南部と遠く離れています。
事の発端である上杉家もまた遠く会津の地にいます……。

対する徳川軍は広大な版図を持っており、
純粋な戦力差だけで比較すると圧倒的なまでに強大です。

その他条件は以下の通り

 ・中級  (コンピュータ大名達の外交が活発なので)
 ・寿命なし(急に三成がポックリ逝っちゃうと困る為)

他は全てデフォルトです。
初期方針としては徳川家を牽制しつつ東軍の前田家、細川家を殲滅し、
隙あらば北陸を通って北に勢力を伸ばしたいところです。
このように決定的な縛りはありませんが、はたして上手く行くのかどうか?


     各勢力、静かな立ち上がり(1600年8月〜


実際の関ヶ原の戦いは1日で決着がつきましたが、
革新のゲームシステムではそんな大規模戦闘は1年単位の歳月が掛かります。
その間「ぶぉ〜ん、ぶぉぉぉ〜ん」と何度となく法螺貝の雄叫びを聞くことになるでしょう。

しかし、そんな大規模戦闘をするには大量の兵糧が必要ですし、
各勢力ともに最前線に兵力を集中するコトすら終わっていません。
とどのつまり、まだ戦争するような状態にないんですよ。

しかも今回は豊臣家を守ってやらないといけない。
数年後に予想される徳川の波状攻撃を受け止めるのは豊臣軍ではなく、
我等が石田勢となるコトでしょう……いや想像したくないけど、

恐らく激戦地になるのは岐阜城周辺、
本来ならば肥沃な美濃ですが幾度と無く戦火に塗れるコトが予想されます。
いずれは鉄砲櫓を大量に建設し兵舎も10個以上。
普通の市や田畑に見えても罠が仕掛けられていたり、
ま、一言で言うと要塞化しないといけません。

前述通り大軍同士がぶつかり合うというコトは兵糧がいっぱい必要。
策源地となるのは近江、琵琶湖周辺といったところでしょうか?

内政が得意な三成としては軍資金稼ぎも兵糧増産も楽勝のハズ、
ですが、家臣達の能力値が頼りない、これでもかってくらいに低いのです。
頼りになるのは長束正家、島清興、蒲生頼郷、大谷吉継くらいのもの、
以下は武将データ、石田三成も含めて五人分をご覧下さい。

石田三成 :統052 武020 知085 政099 足D 騎D 弓D 砲D 計B 兵B 水C 築A 内S

長束正家 :統008 武011 知020 政096 足D 騎D 弓D 砲D 計D 兵D 水D 築B 内A
島清興  :統090 武096 知074 政021 足B 騎S 弓D 砲C 計A 兵A 水D 築A 内C

蒲生頼郷 :統084 武087 知060 政042 足B 騎A 弓D 砲B 計D 兵C 水D 築D 内D
大谷吉継 :統090 武078 知091 政089 足A 騎C 弓B 砲B 計B 兵B 水C 築A 内A

スタート直後にしては、そこそこ大きな勢力である石田家だけど、
あらためて見てみると武将の数も質も貧弱でお話にならない。
それに比べて徳川家の武将は……書く必要もなく強力で大量、

   なんとなく、嫌ぁ〜な感じがします。

嘆いていても先には進みません。
仕方なく家臣全員参加で内政に励むこと1年。
それでも4つしかない領国の内政全ては終えられませんでした。
ここで最初の法螺貝が唸りをあげます。
年が変わって1601年の1月……。

   これ、色んな意味で終わってるよ。

徳川軍は飛騨高山城と清洲城より岐阜城へ、それぞれ1万程の軍勢。
主力武将はすぐに内政より帰還し岐阜城と佐和山城へと散っていきます。
岐阜城より8千、佐和山より8千、むぅ、武将の質でも兵士の数でも負けてるなぁ。

実際に矛を交わすより前になんとなく負ける雰囲気。
しかし、ここで運良く秀頼様が大和郡山城から霧山城へと侵攻してくれたので、
清洲から進発した徳川軍は踵を返し伊勢へと向かっていきました。

   秀頼様、ぐっじょぶ。

残された高山城からの部隊は責任を持って殲滅させていただきました。
思いもよらず初戦白星、これは縁起が良い。
飛騨高山城には徳川軍の補給線が無い為、
この一戦で兵力の大半を消耗しています。これはチャンスです。

大谷吉継隊、島清興隊を高山城攻略に出陣させました。
大谷隊は足軽で4千、戦法「鼓舞」のみ
左近隊は騎馬で4千、戦法「先駆け」のみ

高山城の守備兵もこれまた4千程です。
これならくらいなら鼓舞と先駆けを連発していれば勝てる。
あれ? もしかして結構いけるんじゃね?
豊臣軍と連携して戦えば徳川軍も恐れる程じゃないのかもしれない。

それこそ各地の西軍勢力と連携すれば、
我等が石田軍は徳川軍と正面切って戦うだけだよね?
ってなところで次回へと続きます。
次回は徳川と激戦になるんだろうなぁ〜。