蝦夷脱出大作戦「蠣崎季広 プレイリポート」(前編)




     蝦夷脱出大作戦(プレイ前〜


さて、今回のリプレイは何をやろうかな?
案外このタイミングが一番楽しいのではないかという噂がチラホラと流れる今日この頃ですが、
逆に産みの苦しみって奴もレギュラー顔して同伴出勤してくるんです。

 『よぉ、とち、次はどんなドM縛りをやるんだ?』

ほら、噂をすればしゃしゃり出てきましたよ。

 『お前、自分ではSとか言いながら、半端ねぇメス豚だもんな。』

いやいや、自分は生物学上、オスですから、
「産みの苦しみ」とツッコミ合戦をしても先には進みませんから、
ちゃっちゃと次のネタでも行ってみますか?

えー、「A4サイズの野望」の復活再開から結構な時間が経ち、
掲示板も常連さんやら新人さん、お久しぶりさんで賑わっています。
管理人としては非常に嬉しいコトなのです。
皆様、本当にありがとうございます。

>自分は、最近、信長の野望にはまりだしました。
>なので勉強にさせていただくことでリプレイをお願いします。
>大名は、蠣崎家で縛りはなしでやってくれませんか?

そういえば、こんなカキコがあったのを忘れかけていました。
シンΩさん(読み方はコレで合っているかな?)からのリクエストです。
本当はUnicodeの[U5342]の字なんですけど、
IE以外だと変に表示されるかもしれませんのでカタカナで表示しました。
何卒ご了承くださいませ。

というコトで今回は蠣崎家の蝦夷地脱出を細かく報告する事にします。
つまり「これでわたしもドMの仲間入り、はじめてのマゾプレイ入門編」な感じです。
目標は「本州の本城を手に入れる」です。
シナリオは「尾張統一」1555年5月スタートの難易度は上級です。
ちなみに今回PKもナシということで久しぶりの無印革新です。

さて、縛りなしとは言え蠣崎家は非常に厳しい状況にある大名家です。
何が厳しいかを箇条書きで羅列しますと、

 1)武将の数が致命的に足りない(自分と配下1人)

 2)本拠地の徳山館の開発可能な土地が少ない。

 3)本拠地の徳山館の街並最大数が6と極めて少ない。

 4)隣接する南部家と戦う為には海を越えなければならない。

 5)保有技術が「内政学舎」と「水軍学舎」だけ

 6)技術を上げることすら出来ない

 7)安東家と同盟しているが何かの役に立つ?

そもそも本州に上陸できるのか?
上陸したとして本城を奪い取るコトが出来るのか?
出来るとしたらどうやって?
不安要素ばかりがここぞと噴出してきます。

   あぁ〜ダメだ、無理。

と、諦めたい衝動が抑えきれません。
ただ光明があるとしたら

 1)「革新PK」では無い。

 2)蝦夷には「金山」がある。

 3)太田家や河野家のようにすぐに滅びるワケでは無い。

PK有りでプレイするとなると、
水軍衆とか国人衆とかに邪魔される可能性があります。
ですが無印なので諸勢力の事を考える必要がありません。
これは大きなポイントです。

次に配下武将が一人しかいない上に金山が隠されているとなれば、
金銭の収入には困らないと考えられます。
(プレイ中は必死だったので金山の事、忘れてましたけどw)

最後に太田家や河野家のように
武田、上杉、北条、毛利、大友といった自分より強い勢力が
すぐさま攻め込んでくるという危険性は非常に低いのです。
まぁ、最初に戦う相手であろう南部家は十分に強いんですけどね。

ではここで今回の主役とその唯一の家臣を紹介しましょう。

蠣崎季広  :統066 武049 知070 政079 足C 騎C 弓D 砲D 計B 兵D 水B 築D 内A
南条広継  :統057 武052 知067 政038 足D 騎D 弓C 砲D 計D 兵D 水D 築C 内D

……解かってはいたけど頼り無ぇーなぁー。


     予想外のスタートダッシュ(1555年5月〜


いきなり南条さんと一緒に南部家を攻めたところで勝てるワケがない。
ここは落ち着いて徳山館の城下町を開発することにしました。
箱館港にいる南条さんを呼び出してシコシコと市やら漁戸やらと作って、
地道にチャンスを待つしか無いよね?
夏と冬がきたら民忠が許される限り募兵に励みます。
(今回は70以上をキープさせました。)

入門編とか偉そうな事を書いておいてなんですが、
やっていることは特別な事がひとつもない普通の滑り出しだったりします。
しかし、1555年7月、このタイミングで南部軍に動きがありました。

   よし、こっから奇想天外な攻略方法をあみ出すぞ!

南部軍は三戸城から久慈港を経由し箱館港を目指す部隊と、
石川城から十三港を経由し同じく箱館港を目指す部隊を出陣させました。
対して我が蠣崎軍は徳山館から蠣崎季広が指揮する騎馬3000、
南条広継の足軽7500を箱館港へと急行させました。

   ……あれ? 対処方法も普通だぞ?

援軍10500を得た箱館港は城内に篭り南部軍の撤退をしぶとく待ちます。
あちらさんは長い道中を行軍した為か士気の低下が早いのです。
9月にもなると南部軍が後退していきました。
本来なら追い討ちを掛けて傷兵を吸収したいところですが、
ミラクルな事が発生してそれどころではありません。

なんと南部軍2部隊が2部隊とも十三港へ撤退していったのです。
つまり久慈港および三戸城は手薄になっているハズ、
これは待ちに待っていたチャンスなのではっ?

蠣崎季広は兵9000を持って塩釜の海上を目標に進軍、
箱館港に兵2000を残し南条広継に守備を任せました。

ちょっと説明させてもらうと、
出陣と共に久慈港を目標にすると三戸城や石川城より敵援軍が来てしまいます。
そこで敵援軍が少しでも遅くなるように、
特に何も無い塩釜の海上を目標にして出陣させたってワケ、
なお、結構スムーズに進んでいたのでココらあたりでセーブしておきました。
いざとなればセーブとロードを駆使して本州上陸をするつもりです。

1556年1月、ここでもう一つの幸運が蠣崎家に発生しました。
姫の髪結いが1度に2人分発生したのです。
武将不足に無く蠣崎家では当然の様に武将として登用するしかありません。
すまぬ、圭、波、女の幸せを捨て、我が蠣崎家を守っておくれ……。

ちなみに二人のステータスは蠣崎季広のレッサーバージョン。
政治力はそれなりに高いけど残りは全然な感じです。
いないよりマシ? いやいや、それでも居てくれないと困るんです。

その間も塩釜の海上へ向けて行軍中の季広は南へ南へと進んでいきます。
ここで久慈港の横をすり抜けるのですが、本当の目標は久慈港。
急に目標を久慈港へと変更し攻撃を仕掛けます。

この間、南条広継と娘は「激励」を連発します。
そうしないと久慈港を落とすまで士気が持たないのです。
とにかく「激励」です。何度も「激励」です。
上手く「激励」が掛からなくても諦めずに「激励」します。

この一戦に賭けなければいけません。
残り2000を守備に残してきた箱館港ですが、
その全てを援軍として久慈港へ進軍させます。
姫武将がいるから出来るこの出陣。総大将は蠣崎波です。
南条広継はその間も必死に「激励」です。

1556年3月、ようやく久慈港を攻略。
当面の目標である蝦夷脱出、本州上陸を達成できました。
次の目標は南部家の三戸城を攻略することですが、
この時点で兵糧がヤバイくらい(表示が赤くなるくらい)少なくなっていました。
久慈港の修復は後回し、兵糧をこれでもかと購入します。
こんな状態で南部軍が攻めてきたら守りきれませんからね、

さて兵糧もなんとか買い揃え、
少し落ち着いて自分の周りをみると荒廃しきった領内が見えてきます。
箱館港も久慈港も開発がまだ済んでいません。

娘二人は幸い内政向きなので一斉に領内開発に勤しみます。
なぁに、ここで焦ったところで南部家には勝てません。
あちらさんは騎馬技術をガッツンガッツン上げてますから、
普通に野戦をしたら壊滅的な被害を受けるのは目に見えていますよね?

ここで1度の募兵で2000近くを集められる環境作りが大事になってきます。
ここまでで敵の港を一つ攻略したものの、募兵が出来る拠点は徳山館のみ、
そこで徳山館には兵舎を大量に建設しました。

南部家には三戸城と石川城と二つの募兵が出来る拠点があるワケですから、
どう頑張っても兵力差は時間と共に広がっていくのですが、
北上する長尾(上杉)家という不確定要素があります。

現在のところ安東家の檜山城まで侵攻している長尾(上杉)家は、
それこそ戦力が整い次第、石川城へと攻め込んでいくでしょう。
南部家も蠣崎家だけに注意していれば良いというワケでもないのです。
つまり、石川城と三戸城の兵力を集中されることは無いという判断です。

   ……あれ? そういや安東家って滅亡したっけ?

ふと気になって全体マップを参照してみると、残ってました安東家。
檜山城は失ってますが土崎港に僅かに籠る兵力で滅亡だけは免れていました。
えーっと、同盟が切れたらウチが引導を渡すってのはどうでしょう?

武将不足が深刻な悩みの蠣崎家としては美味しい宝の山です。
安東愛季は全体的に優れた能力値ですから、
今後の蠣崎家の主力として頑張って貰いますし、
パッとしない安東家の家臣団も居ないよりはよっぽどマシです。

箱館港から出航した蠣崎軍は土崎港エリアには侵入せず海上で待機。
同盟が切れた途端に土崎港へ突入っ!
なんか悪い事をしているような気がしますが、
とんでもない、弱小勢力に手段を選んでいる余裕なんてありません。
心を鬼にして元同盟相手を滅ぼしましょう。

もちろん、こんな危険な港を保持するつもりはありません。
安東家の武将をゲットしたら全ての兵力を持って久慈港へ大脱走。
予想通り土崎港は長尾(上杉)家に瞬殺されました。

でも、いいんです。
ムダに抵抗して負けるくらいなら戦う前に逃亡した方が良いのです。
下手に抵抗して貴重な傷兵を失うよりよっぽど良い。

久慈港に兵力を集結させたら次の目標である三戸城を狙います。
しかし素直に三戸城を攻撃したところで勝てるワケがありません。

そこで斯波家の高水寺城に向けて出陣。
久慈港の兵力が減ったところで南部軍が久慈港を攻撃すべく出撃。
高水寺城に向かった軍勢を久慈港へと退却させ、
久慈港付近で南部軍を殲滅させました。

壊滅した南部軍の傷兵を吸収して更に兵力を増した蠣崎軍は、
安東愛季を先頭に三戸城へと殺到。
当面の目標である三戸城を無事攻略しました。

今後の展開としては、長尾(上杉)家と同盟を結び、
東北地方を南下したいと思います。
といったところで今回はココまで、以下次回です。


     〜 ここまでの年表一覧 〜


1555年 5月 徳山館の城下町開発に着手。
         募兵できる季節は優先的に募兵する。

      7月 南部軍が箱館港を目指し出陣を開始。

      9月 士気が衰えた南部軍は十三港へ撤退。

     10月 南部領久慈港へ向けて出陣。

1556年 1月 姫武将が二人誕生。

      3月 久慈港を攻略。

1560年 5月 安東領土崎港へ向けて出陣。

      6月 安東家との同盟期間が切れる。

         土崎港を攻略。安東家滅亡し武将を吸収する。

      8月 長尾軍が土崎港を目指し出陣。

         蠣崎軍は全ての兵士を海路で久慈港へと移動させる。

1562年 7月 斯波領高水寺城へ向けて出陣。

      8月 南部軍、久慈港へ向けて出陣。

         高水寺城に向かった蠣崎軍を久慈港へ退却させる。

         久慈港付近で南部軍の部隊を挟撃し傷兵を吸収。

1563年 1月 南部領三戸城を攻略。