出雲奪回「尼子義久 プレイリポート」(その5)




     義久離反(1577年〜


毛利軍は上洛を目指し次々と邪魔をする勢力の城を攻略していきました。
織田家の高槻城へ、三好家の飯盛城へと雪崩れ込む輝元率いる上洛軍。
毛利家の勢いと実力を天下に見せ付けるような、
被害の大きい力攻めによる火のような侵略は周辺諸国を恐怖のドン底に陥れます。

 「殿、そろそろ絶好の機会が訪れそうですな。」

戦の続く毎日、そんなある日、宇喜多直家は義久に耳打ちをしました。
この性急過ぎる上洛は毛利元就の焦りの現れなのでしょう。
まもなく寿命が尽きようとしている元就は、
孫の輝元に代替わりする前に上洛を果たしたいのでしょう。

 「そうか大殿はもう長くないのか……。」
 「おや? お寂しいのですか?」

まさかそんなハズはない。この時をどんなに待ち望んでいた事か、
とは言え、ここまで大きくなってしまった毛利家を相手に、
これまで願い続けてきた尼子再興、打倒毛利の念願は達成できるのだろうか?
相手は元就を失ったとしても天下で最も強大な毛利家なのです。

 「だからこそ面白いのですよ、殿。」

直家は自信たっぷりに笑って見せました。
義久にも自信が無いワケではありませんが、
骨の折れる戦いが続くという事だけはハッキリしました。

ようやく飯盛城が陥落した1577年3月の末、
あと一歩で山城の国へと辿り着こうとしていた上洛軍に、
毛利家の本拠地である吉田郡山城から火急の知らせが飛び込んできました。

 「大殿危篤」

すぐさま陣を払った輝元以下各将は、
最低限度の守備兵を残し吉田郡山城へと引き返しました。
軍装のまま元就の寝所へと向かう輝元と上洛軍に従った諸将、
意識の有り無しを彷徨う元就の傍らには、
既に吉川元春、小早川隆景らが駆けつけておりました。

 「輝元を中心に毛利家を盛り立てていくよう、頼んだぞ、元春、隆景。」

衰弱した元就を囲む重臣たちからすすり泣く声が聞こえます。
そんな中、最後の力を振り絞り元就は重臣一人一人に遺言を残して行きました。

 「義久殿、元就最後の願いじゃ、輝元のそばで、輝元を助けてやってくだされ。」

ははっと深く頭を下げる義久、

 「長治殿は軍事に長けておる。輝元の手足となり働いてくだされ。」

同じように頭を下げる長治、
最後に輝元をすぐそばに呼び、
元就はこう伝えました。

 「難事あらば、ここにいるお主の叔父達を頼れ、
  外征は別所殿に、内政は尼子殿を傍に置き相談せ…よ……。」

事切れた元就、享年八十一。
輝元への最期の遺言は重臣たちを納得させるモノでしたが、
義久には別の意味に聞こえていました。
別所長治に軍権を預けるのは良いが、尼子義久に兵を預けてはいけない。
別所長治は目の届かないところに向かわせても良いが、
尼子義久はすぐ傍らに置き、目の届く範囲で仕えさせろ。という意味なのです。

屋敷に帰された義久は今後の事を頭に思いました。
遺言通り常に輝元のそばにあっては何事も出来ない。
吉川元春と小早川隆景の二人も、この義久の考えを把握している可能性がある。
どうにかして彼らの監視の目を掻い潜る方法は無いものか?
義久の悩みが解決する前に、輝元は動き始めます。

1577年7月には三好家の残党を攻略するべく四国へと侵攻を開始、
三好家は長慶亡き後、衰退の一途を辿り畿内での勢力を失います。
四国へと逃れた三好残党は再起を賭して
兵站線が東西へと伸びきった毛利家に対し宣戦、
これに対し、上洛目前の毛利家は先に後顧の憂いを断つべく、
別所長治を総大将に四国へと侵攻を開始し義久はこれに従軍したのでした。
攻め込む先は三好家の跡を継いだ香川家の天霧城、
変わらぬ忠義を見せるように義久は奮戦し戦功第一となりました。
それが終わると輝元に新たな官位を授かろうと朝廷工作を行う義久、
こうして元就存命中と変わらぬ働きをする義久を見た輝元は、
すっかり信頼するようになっていったのです。

また香川家が敵対した為、
四国の香川家、畿内の織田家と一色家、九州の大友家と、
毛利家は三方を敵に囲まれる形になりました。
吉川元春は山陰方面から一色家を、
小早川隆景は山陽方面から四国香川家を、
別所長治は九州大友家を警戒するような形になりました。

輝元は残る織田家に対する対策に、
朝廷とのパイプが太く、これまでの勲功も十分な尼子義久を考えました。
祖父である元就の遺言は確かに傍に置いて政の相談役とする事でしたが、
戦場においては毛利家の軍師と呼ばれ、
外交、内政においても十二分な働きをする義久を起用する事に、
輝元の周囲の者達は何の不思議も感じませんでした。
こうして1577年11月、尼子義久は三木城主に任命されたのです。

 「城主になるに当たって市川経好を尼子義久の寄騎に付ける。」

市川経好は吉川興経を廃して元春を養嗣子に迎える功績を上げた毛利家の重臣であり、
本来ならば行政手腕が認められ周防国山口奉行になった人物です。
宇喜多直家は義久が城主に任命された報を聞いて、
すぐさま他の家臣達と共に三木城へ一足早く入城、
義久の入城の準備を整えて待ちました。
市川経好を伴って三木城へと入城した尼子義久は、
その日の内に今後の方針を話し合うとの名目で評定を開くとふれを出しました。

 「殿はまことに忠義者の働き者よの、」

経好は新たに与えられた屋敷に家族と従者を入れ、
そのままの格好で三木城の評定の間へと向かいました。
遅くなったかも知れぬな、と、評定の間へと急ぐ経好でしたが、
着いて見てびっくり、そこにはまだ義久しか居ませんでした。

義久の家臣達に比べ毛利家の直臣の立場であり勲功高い経好は、
三木城においては義久に次いでトップ2の地位にありました。
評定においての彼の座る位置は城主である義久のすぐ斜め隣です。
他の者達はどうしたのだろう? と思いながらも所定の位置に座ると、
義久が声を掛けてきました。

 「経好、わしは謀反を起こす。輝元様に反旗を翻す。」
 「と、殿、何を御冗談をっ!? そのような戯言は言うものではありませんぞ。」

経好は我が耳を疑いました。
謀反を起こす? 三木城主として着任した当日に謀反?

 「冗談? このような事だからこそ冗談は無しじゃ。わしは謀反人ぞ。」

謀反を起こしたとして三木城の城兵だけで毛利家の兵力に抗う事は到底ムリです。
経好には義久が悪ふざけをしているとしか思えませんでした。
経好は義久の正面に座りなおし、目を見てもう一度言いました。

 「殿、今ならこの経好の耳にしか入っておりませぬ、
  それがしも聞いていなかった事にします故、戯言はお辞めください。」

義久の目はまっすぐを見たまま、とても冗談を言っている風には見えません。
ならば、なぜ輝元様が寄騎を与えると仰った時に断らなかったのだろう?
経好にはそれが解りません、毛利家の直臣である自分がそばにあれば邪魔なだけ、
であれば、最初から寄騎は必要ないハズです。

 「経好殿、わざわざの長旅申し訳ござらん、経好殿は人質だったのよ。
  亡き大殿は我等主従の企みを見透かされておった、
  故に輝元様に目の届く範囲で仕えさせよと遺言されたのじゃ、
  輝元様は悪人では無いが凡庸なお人、
  じゃが、小早川殿の手の者が我らを監視しておってな。
  経好殿が一緒ならば手は出せまい、
  いざとなればコチラの人質にも使えるというワケじゃ。」

輝元が義久を三木城主に任じたという話を聞いた小早川隆景は
急ぎ輝元に義久を呼び戻すように指示をしたものの、時既に遅く義久は三木城へと出立、
いざとなれば命の有無も問わずと外聞衆を放ったものの、
経好とその家族従者を人質に取られているような状態では手も出せず、
尼子義久は三木城へと安全に入城できたのでした。

 「そ、そんな馬鹿な……。おのれ、裏切り者は捨て置けぬっ!」

経好が腰の刀に手を伸ばすのと同時に部屋の三方の囲んだ襖が開き、
そこには軍装に身を包んだ宇喜多直家、山中鹿介ら
義久の家臣が刀槍を手に立っていました。
最早これまでと悟った経好は抵抗を諦め、その場に座り直しました。
家族や従者を人質に取られては仕方ない。
裏切り者の汚名を甘んじて受け入れようという悲壮な覚悟です。

 「安心召され、経好殿にはもう十二分に働いてもらった。
  わしは経好殿の命や毛利への忠義までは要らぬ。
  吉田郡山城までお戻りなされよ。」

謀反は既に小早川隆景には気取られている、
その隆景が放った追手も家臣の戸川秀安が今頃倒しているであろう。
今となっては市川経好は不要な人物なのです。
市川経好が吉田郡山城へと逃げ帰ってからすぐに義久は軍備を整え、
翌月には三木城のすぐ隣の堅城、御着城攻略すべく
山中鹿介、宇喜多直家、戸川秀安、近江で新たに登用した大谷吉継を率い
三木城を進発するのでした。全ては尼子再興の為に……。


     -----これまでの流れ-----


  1577.01.01〜  毛利輝元が総大将を務める織田家の高槻城攻撃軍に従軍
          織田勢は退却し勝利 戦功第一となる

    .03.01〜  毛利輝元が総大将を務める三好家の飯盛城攻撃軍に従軍
          三好勢は退却し勝利 戦功第一となる

    .04.01   毛利元就死去 享年八十一
          毛利輝元が後継する

    .05.01〜  吉田郡山城の増築(規模を1上げる)の主命を請ける
          吉田郡山城の規模を3上げる
          家臣の大久保長安から鉱山を学び4レベルになる
          京の町の吉岡道場で武芸の稽古をし3レベルになる

    .07.01〜  別所長治が総大将を務める香川家の天霧城攻撃軍に従軍
          香川勢は退却し勝利 戦功第一となる
          馬屋で騎馬の稽古をし4レベルになる

    .09.01〜  朝廷工作(朝廷貢献度7上げる)の主命を請ける
          朝廷貢献度を19上げる

    .10.03   大谷吉継を家臣に加える

    .11.01   三木城主に昇進する 寄騎は市川経好

    .11.03   毛利家に対して謀反を起こし独立
          市川経好は毛利家へと戻る