出雲奪回「尼子義久 プレイリポート」(その4)




     毛利上洛へ(1574年〜


義久は部将に昇進しました。
これまでの赤松家攻めの戦功が決め手になったようです。
また、赤松家の旧臣を吸収したため、毛利家では大きく武将の配置が変わりました。
毛利家に古くから仕えてきた譜代衆は各地の国主、城主に任ぜられ、
旧赤松家臣の小寺政職、別所長治が家老格として取り立てられました。
更に毛利元就は上洛を画策、織田家との同盟を破棄し京へと侵攻を始めたのです。
この上洛軍の中核は毛利輝元を主将に前述の小寺政職と別所長治、
これに尼子義久、宇喜多直家が従い京を目指します。

別所長治は実際なかなかの武将で『軍学』『足軽』技能が高く、
統率力も70台と、非常に使い勝手の良い駒です。
また家老ということで率いる兵力も最大四千と心強いのですが、
尼子義久同様、つい先程まで敵将でした。
どこまで信じることができるのか毛利家中にも不安が広がります。
別所長治にしてみても信頼を得るために、
必死で働くワケですが、義久としても負けてはいられません。
長船綱直という政に長けた青年を家臣に迎えると、
彼から鉱山開発や建築技術を学び、毛利家の各地の城の補修を行い勲功を積み、
戦場にあっても、場合によっては譜代の臣を差し置いて攻撃軍の総大将となる別所長治でしたが、
対する義久はつねに元就あるいは輝元の監視の目がある第二、第三備に配置されました。
その中にあっても義久は活躍を続けます。

1575年の夏には山名家の鳥取城を攻め落とし、宇喜多直家の援護もあり戦功第一、
同年11月になると山名家の出石城を攻め落とし、やはり戦功第一、
義久は毛利家の上洛軍の軍師格として名声を高め始め、
そして、その名声を天下に轟かせる大きな戦いがありました。
それが1576年3月の石山合戦です。

この戦いは上洛を目指す毛利輝元軍1万6千余
援軍として村上水軍1万4千余の総勢3万余は石山本願寺を攻めたものです。
これに対し本願寺勢は堅固な石山御坊に立て籠り鉄砲と弓矢で必死の抵抗を続けます。
しかし3万の兵に包囲され海上も封鎖された石山は長くは持たないと考えられていました。

 「殿、根来衆に動きがありました。」

石山城の大手門を攻撃しつづける毛利軍中にあって、
直家はそっと義久に忍者衆の動きを報告しました。

 「根来衆が動くか、とすれば本願寺勢は討って出るだろうな。」
 「えぇ、おそらくは……。」

石山本願寺は鉄砲を所持しており、籠城戦にしろ野戦にしろ厄介な相手です。
また、士気は未だ旺盛で、城内には多くの兵士が残っています。
これに根来衆が援軍に来たらどうなるだろう?

 「直家は何と見る?」
 「このままですと負けますな。」

直家の言い方に妙な違和感を感じた義久は、
もう一度、直家に聞き直したのです。

 「このままでは? ならば何とすれば勝てる?」
 「単純な事に御座います。殿とそれがしで敵本陣を落とすのです。」

簡単に言う。敵本陣を落とすのが一番難しいのではないか、
義久は思わず苦笑を漏らしました。
それでも直家が言えば可能な気がしてくるから不思議でならない。

 「殿、殿ならばどうやって敵本陣を落としまするか?」

今度は逆にその直家から質問される。
嫌らしい奴だ、この嫌らしい悪戯っぽい笑顔が出ると、
こいつのドSっぷりが発揮されるんだ。

 「わしと、おぬしの兵を伏す、輝元様には囮になっていただき、
  わしらの兵だけで敵本陣を攻撃する。攻撃する場所は、ここじゃ。」

義久は戦場の絵図に軍配の先を押し付けました。
敵が本陣を張るとすれば川の奥、その絵図の川の手前に義久、直家の備を置く、
本願寺優勢となれば本願寺勢は毛利方に討って出るでしょう。
毛利方は逆に退きながら村上水軍の援護を待つ姿勢を取るであろう予測が出来ます。
根来衆は北の高地から毛利本陣を狙う、とすれば、南の街道を兵を伏して前進。
敵本陣が何らかの状況の変化で城内に戻ろうとして渡河した瞬間に、
伏兵を解き、一気に攻め滅ぼす作戦です。

 「さすがは殿、それがしと同じ考えですな。」

直家が詰らなさそうにボヤくのと同時に、
早馬が敵援軍、根来衆の襲来の報を伝えに駆け込んできました。
毛利輝元はすぐさま石山の包囲を解き、根来衆に対応しようとします、が、
本願寺勢が討って出てくるところまでは予想出来なかったのでしょう。
毛利の各備は混乱し後退、それを見た義久と直家は兵を伏し逆に前進。
軍の主力を見失った毛利軍は後退に後退を繰り返し村上水軍の援護を待ちます。
根来衆は北の高地を一直線に輝元本陣にむけて進軍、次々と毛利軍の各備は壊走、
毛利輝元本陣がどうにか持ち堪えている状態です。
この状況にようやく村上水軍の軍艦から援護射撃、本願寺勢は後退を開始。
本願寺本陣も城内へと撤退すべく川の上に移動を開始しますが、

 「敵が策に掛かったぞ、全軍、川の上の本願寺一番備に矢を放てぇっ!!」

突如対岸から現れた平四つ目結の旗印、尼子義久軍の旗印です。
これに本願寺本軍は混乱し川の上で立ち往生、
そこに五月雨の如く矢が降り注ぐのだから堪ったもんじゃありません。
必死に逃げようとする敵の前に今度は宇喜多直家率いる一隊が現れ、
尼子主従の集中攻撃を喰らい本願寺勢は壊走。
圧倒的劣勢を覆し堅城に苦労することなく、
野戦で打ち破った尼子義久の名声は天下に轟いたのでした。

 「ははっ、勝った、勝ったぞ。ようやった、ようやったぞ義久、
  この戦の戦功第一は我が軍師、尼子義久じゃっ!!」

目の前で起こった華麗な逆転劇に輝元は手を叩いて喜び、
義久に何度も何度も礼を言いました。
この一戦で輝元は義久を絶対的に信頼し、
その義久は家老に昇進しました。
また、いずれ始まる尼子復興の為の戦いの為に、
新たに岡利勝、戸川秀安、花房正成、大久保長安を家臣に迎えたのでした。


     -----これまでの流れ-----


  1574.07.01〜  部将に昇進する
          吉田郡山城の補修(防御度を10上げる)の主命を請ける
          吉田郡山城の防御度を20上げる

    .07.23   同僚の別所長治から『軍学』を学びレベル3になる

    .08.26   岡利勝、戸川秀安、花房正成を家臣に迎える

    .09.01〜  御着城の開墾(石高を12上げる)の主命を請ける
          御着城の石高を27上げる
          同僚の別所長治から『足軽』を学びレベル3になる

    .11.01〜  毛利輝元が総大将を務める山名家の鳥取城攻撃軍に従軍

    .12.06   鳥取城から退却を進言

  1575.01.01〜  朝廷工作(朝廷貢献度7上げる)の主命を請ける
          朝廷貢献度を14上げる

    .03.01〜  吉田郡山城の補修(防御度を10上げる)の主命を請ける
          吉田郡山城の防御度を20上げる
          安国寺恵瓊に『礼節』を学び3レベルになる

    .04.26   『茶頭』『茶道の練達者』の称号札を取得

    .05.01〜  御着城の開墾(石高を12上げる)の主命を請ける
          御着城の石高を25上げる
          『名宰相』の称号札を取得
          安国寺恵瓊に『礼節』を学び4レベルになる

    .07.01〜  毛利輝元が総大将を務める山名家の鳥取城攻撃軍に従軍
          攻め落とし戦功第一となる

    .09.01〜  外聞衆と親善を深める主命を請ける

    .09.29〜  長船の鍛冶屋で鉄砲修行をし2レベルになる

    .11.01〜  毛利輝元が総大将を務める山名家の出石城攻撃軍に従軍
          攻め落とし戦功第一となる

  1576.01.01〜  三木城の開墾(石高を12上げる)の主命を請ける
          三木城の石高を27上げる
          長船の鍛冶屋で鉄砲修行をし3レベルになる

    .03.01〜  毛利輝元が総大将を務める石山本願寺攻撃軍に従軍
          根来衆の援軍により野戦となる
          本願寺第一備を撃破して勝利 戦功第一となる
          馬屋で『騎馬』修行を行い3レベルとなる

    .05.01〜  家老に昇進する
          朝廷工作(朝廷貢献度7上げる)の主命を請ける
          朝廷貢献度を19上げる
          『説客』の称号札を取得
          長船の鍛冶屋で鉄砲修行をし4レベルになる

    .07.01〜  御着城の開墾(石高を12上げる)の主命を請ける
          御着城の石高を25上げる

    .09.01〜  毛利元就が総大将を務める織田家の有岡城攻撃軍に従軍
          攻め落とし戦功第一となる

    .11.01〜  丹後水軍と親善を深める主命を請ける

    .12.23   甲府の町の大久保長安を家臣に加える