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出雲奪回「尼子義久 プレイリポート」(その2)

毛利家臣(1570年〜
新緑に囲まれた夏の吉田郡山城、
その一室で元就と義久は数年ぶりに再会しました。
「よほど勉学に励まれたようですな、このまま商人になるという道もありますぞ。」
「いえ、これまでお世話になった御恩、是非とも大殿のお力になって御返し致したく、」
お互いの腹のうちを探るような緊張した問答ですが、
この時、毛利家は順調に勢力を拡大しており、
吉川元春、小早川隆景の両川は各地を転戦しているような状況、
しかも義久の算術、弁舌能力は毛利家臣の誰よりも優れたモノでした。
頼りになる家臣がひとりでも多く欲しいこの時期、
元就にとっても決して悪い話ではないのです。
元敵将でなければ、の話ですが、
「では足軽組頭として義久を採りたてるとする。よいか?」
元大名を足軽組頭として登用する。
これは大変失礼な話ではありますが一度は浪人した身分。
義久はこれに従うしかありません。
「ははっ、有難き幸せに御座います。」
「ならば次回から評定に出席してもらうぞ。」
こうして武士としては最低ランクの身分から再スタートの義久ですが、
こんなことで立ち止まってはいられません。
毛利家中の信頼を手に入れるため、家臣の家屋敷を回り、
千利休から修得した茶道を存分に活かし茶を振る舞い続けます。
誰とも分け隔てなく気さくに付き合う義久に、
親しくする家臣たちも多くなり季節も秋となった頃、
義久にとって毛利家臣として最初の評定が始まるのでした。
「義久、今後の為より多くの知識を得るのだ。
修行して参れ、軍学であっても弓術であっても構わぬぞ。」
義久にとって元就から請けた主命は意外なものでした。
命のやり取りをしていた元敵将に軍学でも良いので修行して来いと言うのです。
ただし、あの口の端に嫌な笑みを浮かべて、です。
評定と評定の間の期間は僅か二ヶ月、
これまでの浪人生活と違い時間制限があります。
その二ヶ月のうちにいかに技能、知識を手に入れるか?
いや、元就の腹の内では、こう考えているのでしょう。
たった二ヶ月という時間制限の間に、
あの凡庸な義久が新たな知識を手には出来ないだろう。と、
「ははっ、より多くの知識を得て参ります。」
義久は深く頭を下げながらも、あの嫌らしい笑みを感じていました。
いま、彼は敵の中にいるのです。宿敵毛利元就の家臣として目の届く場所にいるのです。
既に義久の戦いは始まっていたのかもしれません。
義久は評定が終わると真っ先に吉川元長の屋敷へと向かいました。
吉川元長と言えば、毛利家随一の猛将吉川元春の長男で彼もまた勇猛な武将です。
また義久にとって毛利家中でも仲の良い武将の一人でした。
正しくは義久が特に取り入った人間でした。
いずれ来るであろう戦の前に軍事的技能を習うのに最適な人材だからです。
そんなある日、
「おぉ、元長、急に呼び出してすまなかったな。」
「なんでも火急の用件だとお聞きしましたが、」
「なに、ただ義久の様子を聞きたかっただけじゃ。」
元就は元長を呼び出し、義久の様子を聞きだしていました。
やはり何か気になるのでしょう。
「はい、寝る暇も惜しんで修行に明け暮れております。
義久殿は、それがし降将ゆえ命を削ってでも
大殿に奉公しなければ信用を得られないと申しておりました。」
ふん、と元就は鼻で笑いました。
それを見て不思議そうな顔をする元長、
「……なにか?」
「義久の腹の内は義久しか解らぬという事よ。元長も心せよ。」
祖父の機嫌を損ねた事だけは感じ取った元長、
しかし、なぜ機嫌を損ねたのか理解できません。
釈然としないまま屋敷に戻ると、
既に夕刻というのに弓の修練を積む義久の姿がありました。
その真摯な姿に元長は更に混乱を深めたのでした。
「義久殿、わたしは何ぞ変な事を申したのかのぉ?」
「いえ、若様は大殿の御孫様に御座います。
大殿は御孫様の若様の活躍を願っておいででしょう。
それがしが修練を積めば、その分だけ若様の御活躍が減り申す。
それが面白くないのでしょう。」
元長はようやく納得した。しかし、解せない部分もある。
義久殿が修行し、わたしや父上の力になってくれれば、
それは総じて毛利家の為にもなる事。
なぜ御爺様はあのような事を仰ったのだろうかと、
「大殿は稀代の知恵者に御座います。
それがしのような凡人には計り知れない御心配事があるのでしょう。」
義久はそう言いながら弓を引く腕に力を入れました。
日が落ちかけた薄暗い中、ひゅぅという音とともに的の中心を射抜く矢、
義久の腕は少しづつではありましたが順調に成長していくのでした。
二ヶ月後には『弓術』『軍学』『足軽』を元長に学び、
また厳島の町の住職、安国寺恵瓊に『礼節』を学び、
それぞれ1レベルとし元就に報告をしたのでした。
「義久殿の修行の成果、まことに見事なり。」
口々に毛利家臣の武将たちから褒められる義久、
これは元就も認めざるを得ません。
その後も三千石の兵糧を売却し千二百貫を稼ぐように主命を受ければ、
標準相場の倍以上で売りさばき二千四百巻を稼ぎ上納を繰り返します。
寝る暇を惜しんで人の倍働く、少しでも暇があれば修行をし自らを磨く、
こうして義久は毛利家中の信頼を得、1571年7月には足軽大将へと昇進。
また、足軽大将へと昇進を果たした後も
軍資金の調達を命じれば人が四千貫を稼ぐところを八千貫稼ぎ、
毛利家の金庫番として家中の評判は鰻上り、軍資金もグングンと増えていきます。
どこでそんなに金を稼いでいるのか?
答えは単純でした。京の商家で必死に商いを学んだ義久は、
交易品の相場を読むエキスパートに成長していました。
兵糧売却した後、その金を元手に交易品売買を行い、
一ヶ月に一万貫を越える稼ぎを出していたのです。
元就に上納する相場の倍以上の金額を出しても義久の懐には大金が残ります。
もちろん、その大金は尼子再興の軍資金として隠し持っているワケです。
毛利家中での信頼を得、同時に尼子再興の軍資金を隠し蓄える。
義久は元就の智の範疇を密かに越え始めていたのでした。
そんな義久に新たなるチャンスが訪れました。
毛利家と浦上家との間に戦争が始まったのです。
政でも高い評価は得られますが、
戦場での勇名の方が手っ取り早く評価を得られるのです。
修練に修練を積んだ義久の弓術は家中でも高く評価され、
元就もこの戦いに勝利する為には義久の力も必要だと認めざるを得ませんでした。
浦上家の砥石山城攻撃軍に従軍した義久は、
その弓の力で敵の三番備を撃破、これにより戦功第一となり、
その後も度々戦場へと出陣を許されるようになっていくのでした。
こうして浦上家は滅び、毛利家の勢力はまた一段と広大になっていきます。
広大になればなるだけ有能な人材が必要となる。
当然のことですが、これまでの勲功を考えると、
もう既に義久は毛利家になくてはならない存在へとなっていました。
そんなある日、これまで仕事一筋だった義久が、
主命と修行の隙を縫うように長船の町へと出掛けて行きました。
浦上家が滅びたその月に主家滅亡のため浪人となった、
戦国有数の知恵者、宇喜多直家を家臣に加えようというのです。
直家は町外れの小さなあばら家に住んでいました。
臆する事も無く腰に刀も刺さずに数日前戦った相手の家へと入っていく義久。
「おや、なんの用ですかな? 毛利家の金庫番殿?」
ニヤニヤと笑みを浮かべる直家、
その笑い方は義久にとって元就以上に不快なモノでした。が、
「貴殿のような知恵者を野に沈めて置くには勿体無い。この義久の家臣とならぬか?」
「このわしが、国を滅ぼしたと悪名高い尼子義久の一家臣になれと?」
直家は大笑いをしていますが、目は鋭いままです。
いまにも刀に手をかけて斬りつけて来るかもしれません。
「確かに尼子を潰したわしは、いま毛利家の足軽大将に過ぎない。
貴殿に高い禄も出す事は出来ない。だが貴殿の力がどうしても欲しいのだ。」
義久は額を床にこすりつけるように頭を下げます。鋭い殺気を放つ直家、
もしも直家が刀を抜いたら、その瞬間に頭と胴体は泣き別れです。
が、直家は微動だにしません。と同時に義久は自分の背後に気配を感じました。
敵意はありません、敵意は無い何者かの気配です。
「我が殿には指一本触れさせませぬぞ。」
(む、この声、この気配……鹿介か?)
その瞬間、
「やめじゃ、やめじゃ、お主と斬り合うたら、わしの首が飛ぶわ。」
直家から鋭い殺気が消えました。
頭を上げる義久、直家は相変わらず笑みをこぼしていますが、
先ほどの嫌らしさは微塵も感じられません。
「義久殿は何をお考えか? それ次第では仕えてもよいぞ。」
義久と鹿介は尼子再興打倒毛利の話を直家に聞かせました。
この事を尼子関係者以外に話したのは初めてです。
が、それだけ直家の智が欲しい義久は全ての計画を直家に話しました。
「殿、それは面白そうなお話ですな。」
その後、宇喜多直家は山中鹿介と共に
尼子義久の家臣として毛利家に仕える事となります。
ただし、義久の禄は僅か10貫、
その中から直家に5貫、鹿介に5貫を渡すと、
義久の懐に入ってくる禄はゼロになります。
「殿、冷蔵庫に粘り気のある食べ物いっぱいにしておいて下さいね。」
「では鹿介の禄は長芋と納豆とオクラで良いな。かわりに直家に10貫やろう。」
「そいつはいい考えですな、殿。」
数日後、浦上家との戦闘の功により尼子義久は侍大将に昇進、
ゆっくりと、しかし着実に毛利家中へと侵食を進めていくのでした。
全ては尼子再興の為に……。
-----これまでの流れ-----
1570.05.10〜 毛利家に仕官し足軽組頭となる
.07.01〜 修行の主命を請ける
吉川元長より『弓術』『軍学』『足軽』を学び1レベルになる
安国寺恵瓊に『礼節』を学び1レベルになる
1569.03.14〜 石山の町で安井道頓から弁舌を学ぶ
.08.25〜 堺の町で千利休から茶道を学ぶ
1570.02.04〜 軒猿の里で忍術修行
.03.04〜 京の町の吉岡道場にて武芸を学ぶ
.09.01〜 兵糧売却(三千石を1200貫以上で売却)の主命を請ける
交易品等で14000貫を稼ぎ2400貫を上納、残りを貯金する
石山の町の安井道頓から建築を学び1レベルとする
安国寺恵瓊に『礼節』を学び2レベルになる
.11.01〜 修行の主命を請ける
京の町の曲直瀬道三より医術を学び1レベルとする
京の町の南蛮寺にて開墾を学び1レベルとする
1571.01.01〜 兵糧売却(三千石を1200貫以上で売却)の主命を請ける
交易品等で10000貫を稼ぎ2400貫を上納、残りを貯金する
吉川元長より『弓術』を学び2レベルになる
1571.03.01〜 兵糧売却(三千石を1200貫以上で売却)の主命を請ける
交易品等で10000貫を稼ぎ2400貫を上納、残りを貯金する
京の町の曲直瀬道三より医術を学び2レベルとする
京の町の南蛮寺にて開墾を学び2レベルとする
.05.01〜 足軽大将に昇進する
軍資金調達(3000貫を元手に4000貫以上にする)の主命を請ける
交易品等で10000貫を稼ぎ8000貫を上納、残りを貯金する
石山の町の安井道頓から建築を学び2レベルとする
.07.01〜 軍資金調達(3000貫を元手に4000貫以上にする)の主命を請ける
交易品等で10000貫を稼ぎ8000貫を上納、残りを貯金する
『能吏』の称号札取得 『算術の練達者』の称号札取得
.09.01〜 軍資金調達(3000貫を元手に4000貫以上にする)の主命を請ける
交易品等で10000貫を稼ぎ8000貫を上納、残りを貯金する
吉川経家より『鉱山』を学び1レベルになる
吉川経家より『足軽』を学び2レベルになる
京の町の曲直瀬道三より医術を学び3レベルとする
.09.06 小谷落城し浅井家滅亡
.12.20 織田信長、将軍足利義昭を追放する
1572.01.01 浦上家の砥石山城攻撃に従軍
攻め落とし戦功第一となる
.05.01 安土城完成する
軍馬購入(3000貫で軍馬120頭を購入)の主命を請ける
軍馬240頭を上納する
道中、行商人より名馬『星崎』を購入する
.06.04〜 宇喜多直家、山中鹿介を家臣に加える
.07.01〜 侍大将に昇進する
徴兵(3000貫で1000人以上徴兵する)の主命を請ける
2000人以上の徴兵に成功する

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