少数精鋭「今川義元 プレイリポート」(その2)




     尾張美濃侵攻作戦(1557年〜


雪斎は焦っていた。このままでは駿河、三河に閉じ込められるのではないか? と、
いち早く尾張を支配下に置き京へと向かうか、今後同盟の切れる武田家に対するか、
どちらにしても尾張を手中にしなければ他家との国力の差は広がるばかりなのである。
しかし、

 「雪斎さま、弓の弦の強さはこれくらいで良いですかのぉ?」

そう、今川家の主力とも言える雪斎も弓の研究に忙しいのだ。
さてどうしたものか? 松平元康は器の大きな男であり一軍を任せるに値するが、
どうも尾張のうつけも、ただのうつけではない気がする。
もう一人、二人は軍を任せられる将が欲しいものだ。
そして何より織田は美濃の斎藤と結んでおり下手に攻め込めば反撃を喰らう。
雪斎に残された手段は歯痒くても待つしかなかったのである。

だが雪斎はある男の事を思い出した。
武田信虎、子に甲斐を追放され駿河に入った武田信虎である。
彼ならば騎馬を率いれば一流の働きをする。戦場での経験も積んでいる。
彼を登用したらどうだろうか?

武田信虎  :統093 武096 知054 政050 足C 騎S 弓D 砲D 計D 兵B 水D 築D 内D

さらに運の良い事に斎藤家が近江へと出兵したのである。
尾張織田家が実質孤立した状態にある今が絶好の機会、
松平元康に足軽隊を与え先行させ、急ぎ武田信虎を登用し騎馬隊を与え出撃させる。
織田家はかなりの抵抗を見せたが、もともとあった兵力差はどうするコトもできず滅亡。
義元の命により旧織田家臣は全員斬首する。
この混乱に目を付けた信玄は美濃へと侵攻を開始するが、
そうはさせじと元康隊は斎藤軍の留守を突き武田軍到着前に美濃へと侵攻。
稲葉山城を陥落させる。これまた全員斬首。
ただ、この戦の武田信玄の悔しがりさは尋常ではなかった。
実のところ信玄は同盟軍として美濃への攻撃要請を義元へとしていたのである。
義元は要請を断わり、すぐさま美濃への攻撃を指示したのである。

一般的なイメージで今川義元と言えば公家の雅な生活に馴染んでしまい、
戦国の世を生きる将としての資質を疑われがちではあるが、
実際には優秀な将であり、雪斎や家臣に頼りっきりというワケではないのだ。

こうして、ほんの少しの隙をついて一気に尾張、美濃を制圧した今川家は、
この後、再び内政と技術研究の繰り返しへと戻り力を蓄え始める。
大きな被害を出さず、戦をすれば、いや、戦をする以上は必ず勝つ、
そうでなければ少人数で自領を守ることは難しい。そのための充電期間であった。
しかし、この美濃争奪戦によって今川家と武田家の同盟の絆に、
消えない溝が出来たことは誰の目にも明らかであった。


     海道一の弓取り(1561年〜


武田、今川、北条の同盟が切れてすぐ、
なんと武田と北条は同盟を組みなおし、今川へと宣戦布告。
北条勢二万は小田原城を出てまっすぐ駿府城を目指し、
深志城を出た武田勢二万は岡崎城へと進んだ。

対する今川勢は伊勢を制圧後、尾張、伊勢の兵を動員し岡崎城への救援とした。
同時に朝比奈泰能らが岡崎入りし急場しのぎの罠を設置してまわった。
松平元康率いる三河軍団は新たに本多正信、服部正成、渡辺守綱を加え、

本多正信  :統020 武006 知101 政095 足D 騎D 弓D 砲D 計S 兵S 水D 築B 内A
服部正成  :統056 武091 知088 政001 足B 騎D 弓B 砲D 計S 兵A 水D 築D 内D
渡辺守綱  :統062 武093 知015 政004 足S 騎D 弓D 砲C 計D 兵C 水D 築D 内D

豪将武田信虎と供に駿河へと入り北条氏康の軍を迎え撃つ。
この時期の今川軍の編成は足軽隊を前に、
後方から弓に秀でる将が弓隊を率いる形が基本となっていた。
先鋒の足軽隊が必死に周囲の部隊を「鼓舞」し続け、後方の弓隊が矢を放つのである。
その弓隊の威力は他家の弓隊を圧倒するものであった。
「与一の弓」と呼ばれる今川家に広がった新技術がそれを実現したのである。

武田軍は岡崎城下で罠によって大混乱を起こし矢の雨を喰らって敗走。
北条軍もまた本多正信、服部正成の知略に翻弄され壊滅したのであった。
この勝によって北条方の兵糧はほぼ底を尽き、
それを察知した今川軍は快勝の勢いをそのままに小田原城へと雪崩れ込んだ。
この乱戦で氏康をはじめ多くの一門を失った北条勢は氏康の娘を当主とし下田港へと逃げ込むが、
時既に遅し、武田信虎の軍に包囲された下田港は間も無く陥落、
北条一族郎党全て斬首となった。

同盟相手の訃報を聞き武田軍は躑躅ヶ崎館から駿府城目掛けて四万という大軍で出陣。
ところが、これが完全に裏目に出たのでた。
今川お得意の罠に掛って混乱しているところを駿府から出陣した今川勢と、
小田原、下田から救援に戻った今川勢に挟撃される形になったのである。
逃げ場を失った武田方の兵は今川軍に投降し戦いは呆気なく終ったのである。
この戦いにおいて戦力を得た今川軍は岩付城へ進軍。
まさに名実ともに海道一の弓取りに相応しい戦果であった。

しかし、武田軍が今川家に苦戦している間、着実に成長を遂げた勢力がある。
越後の龍こと謙信率いる上杉家である。
北は陸奥の十三港まで、西は能登七尾城、飛騨桜洞城まで勢力を拡大し
現時点では最大の大名家と成長していたのである。
本来ライバルとなるであろう武田家が今川家に苦戦しているという状況下とは言え、
その勢いは各地の大名家の脅威となっていた。
かくして上杉包囲網が結成され今川家にもその声が掛ったのである。

 「如何なさいますか?」

雪斎は主に聞いた。
恐らく返ってくる言葉は想像できた。

 「利用出来ぬものか? 利用出来るのであれば雪斎に任す。」

実のところ、今川家の技術革新は限界が来ていた。
ゲームシステム的に今の今川家に「弓適性S」は太原雪斎ひとりしかいない。
弓適性を伸ばすアイテムが必要になったのである。
同様に足軽に関しても「足軽適性S」は二人しかおらず、
足軽適性を伸ばすアイテムも欲しい。

現在、情報画面で確認している足軽適性を上昇させるアイテムは、
鈴木家、足利将軍家に多数存在しており、弓適性を上昇させるアイテムは朝倉家に1つ。
どちらにしても今川家としては進路を西に向けたいのである。
たしかに上杉家は最大の敵ではあるが、
今川家にとっては未だ武田軍は恐ろしい相手であり、
その武田に背を向けて西進するのは勇気のいる行為である、が、
こうして上杉包囲網をともに結成するコトによって敵は味方にもなるのである。
義元の言う「利用」とはこの事であった。
雪斎はもとより今川家臣一同みな同じ事を考えていたに違いない。
かくして海道一の弓取りは形式上、越後の龍と対立する形をとりながら、
みずからの野望に邁進することになる。