少数精鋭「今川義元 プレイリポート」(その3)




     古今無双(1563年〜

前線で戦の指揮を取り上杉家の飛騨桜洞城を攻略した元康は、
懐かしい三河岡崎城へと戻っていた。数名の政治に秀でる将と一緒にである。
もちろん、これには理由がある。

 「あの者たちもそろそろ戦場を知っておいても良いだろう。」

この年、元服した本多忠勝、榊原康政を迎えに三河へと戻ったのである。
本来なら後の徳川四天王として活躍する両名だが、
このリプレイ中は今川家臣として活躍してもらうコトとなる。

本多忠勝  :統091 武097 知074 政060 足A 騎S 弓D 砲C 計B 兵B 水D 築B 内D
榊原康政  :統090 武083 知051 政046 足A 騎B 弓C 砲C 計D 兵C 水C 築C 内D

これで本来の徳川四天王のうち3人が揃ったことになる。
雪斎はある程度事前にこの情報を掴んでおり、
上杉包囲網を利用し西進する機会と考えていた。

 「これで新たな技術の開発と戦が同時に行える、か……。」

将がそろった元康隊はそのまま美濃稲葉山へと移動し、
上杉包囲網の同胞である武田と接する岡崎、駿府、稲葉山、清洲城の総兵力を率い、
すぐさま足利将軍家が有する近江観音寺城へと侵攻した、
初陣とは思えぬ若武者二人の活躍と、
神算鬼謀の参軍本多正信、鬼の半蔵こと服部正成、槍の半蔵こと渡辺守綱の力、
更には三河、駿河、美濃、尾張四国の大兵団を持って快勝、
とくに服部正成らを副将に据えた本多忠勝隊の戦ぶりは凄まじく、
剣豪将軍と呼ばれる足利義輝の率いる部隊を一手に引き受けた。
整然と繰り出される義輝隊の「槍衾」を、

 「恐るるに足らず。」

と弾き返し。
逆に漲る闘志を副将についた服部正成の戦法「槍車・槍突撃・槍衾」と連鎖させ一蹴した。
その後も観音寺城に取り付き激しく抵抗する城兵の攻撃にびくともせず攻撃し続け、
他の部隊と連携して制圧をしたのである。
激しい連戦を繰り広げた本多忠勝ではあったが、その姿は無傷であったという。

この戦いに勢いを得た今川軍は、そのまま山城へと雪崩れ込み、
既に形骸化していた室町幕府は今川家の武威によって滅亡。
義元の命により足利義輝をはじめ足利幕府に組する者すべてを斬首とした。

幕府より得た家宝を太原雪斎、酒井忠次(足軽適性A)両名に与え、
松平元康(足軽適性S)と供に更なる技術開発を行うように指示した。
まさに今川家の主力と言えるこの3人の戦線離脱は痛い。今までであれば、である。
いまなら問題ない、本多忠勝、榊原康政の両名は実に大きな存在となった。
それまでは大将を今川義元、太原雪斎、松平元康、武田信虎、酒井忠次の内、
実質二人、多くて三人しか動員できなかった。
と、いうのも内政と技術革新に何名か取られる為である。
これに副将として大将の足りない部分を補う意味で、
本多正信、服部正成、渡辺守綱、鳥居元忠らが配属される。
ところが、今では太原雪斎、松平元康、酒井忠次が技術革新のために抜けたとしても、
本多忠勝、榊原康政が大将として戦線に立てるのである。これは大きい。
次の目標は弓適性を伸ばすアイテムを保有している朝倉家。
その前に立ちはだかる浅井家、だが恐るるに足らない相手であろう。
本多忠勝、榊原康政、武田信虎を大将とした今川遠征軍は、
精強な騎馬隊を繰り出し激しく抵抗する浅井長政と激突するも、
長政の戦法を老練な信虎は次々と看破し退ける。
城内へ逃げ帰る浅井軍を追撃した本多、榊原両隊は大きな被害を受けることも無く、
近江の北に興った新勢力、浅井家の小谷城を難無く制圧するのであった。



     深き溝(1564年〜

さて、その頃、上杉軍は飛騨桜洞城を奪還すべく四万という大兵団を動員し出陣。
義元は今川方三万足らずと劣勢な状況にも焦らず、
桜洞城に入城すると領内に罠を設置するのとともに
稲葉山、清洲、岡崎から兵と物資を輸送させた。
朝比奈泰能、泰朝らが足軽隊を率い上杉騎馬を足止めすると、
義元はお家芸となった弓隊を率い後方から射撃する。
ジリジリと押される戦いとなったが各城からの救援物資が届くと形勢は逆転。
上杉軍は撤退を余儀なくされ、桜洞城侮り難しと富山城に兵力を集中させるのだった。
しかし、上杉軍にとってそれが仇となった。

武田軍が箕輪城から出陣し守備が手薄となった上杉家の本拠である春日山城を強襲。
返す刀で新発田城をも制圧したのである。まさに機を見るより敏、
慌てた上杉軍ではあったが関東方面の全兵力を動員した武田軍は精強で、
下手に手を出せば背後の飛騨今川軍が動き出すであろう。
出羽、陸奥には未だ上杉軍が数十万を残しているのだが
完全に輸送線を断たれた形になったのである。

富山城に集結させた上杉軍の兵力は六万、
それを取り囲む今川四万、本願寺二万、武田五万。
これに対し信玄はある夜、秘密裏に飛騨桜洞城を訪れた。
今川軍と共同で富山城攻略に乗り出そうというのである。

見た目では富山城に籠もったような形の上杉軍ではあるが、
信玄からしてみれば上杉軍が武田軍に対して北と西から挟撃している形にもなる
富山に籠もった上杉六万を討てば後顧の憂い無く出羽出兵が可能となるが、
この状況ではそれはもちろん不可能、
だからと言って、春日山、新発田の兵を富山攻略に持ち出せば、
出羽の上杉軍に背後を晒す事になるのである。

 「これは信玄殿自らお越し下さるとは、」
 「いやいや、義元殿こそご機嫌麗しゅうようで何より、」

和やかな雰囲気で始まった会談ではあったが、
信玄の言いたいこと、そしてそれに対する義元の答えは決まっていた。

 「富山に集結した上杉方六万だが、」
 「信玄殿、申し訳ないが我が軍は動けぬ。」
 「何故じゃ、義元殿。」

理由を問われた義元は大げさに狼狽して見せた。

 「一度上杉と戦こうて見てわかった。奴は軍神じゃ。」
 「なんと、海道一の弓取りと言われる今川殿が臆したか?」
 「情けない事にその通り、かの戦ぶりは物の怪かはたまた鬼か、」

信玄にも答えはある程度予想できていた。
義元は武田に死ねと言うのだ。
それは以前から知っていた事である。

 「確かに謙信の戦ぶりは神懸りしておる。が、よぅわかった。」
 「わかった?」
 「今川殿には頼らぬ。」
 「申し訳ござらぬのぅ。」

信玄は腸が煮えるような想いをしつつ夜が開ける前に春日山へと発った。
それを見送ると義元は家臣に命じた。軍備を整えよ、と、
次の日から飛騨桜洞城下の施設は次々と取り壊され、兵舎が建てられていった。
いつしか一度の募兵で四千近くの兵を集めるようになった桜洞城の兵力は、
すぐさま六万を超え、単独で上杉に対する事が出来たという。

 「元康らが技術開発から戻り次第、富山城攻略へ向かう。」

上杉包囲網の期限は残り数ヶ月となっていた春の出来事であった。
今川家の足利技術は最大にまで伸び各地の足軽学舎を取り壊し、
その跡地には内政学舎が次々と建てられていったという。

さて、ここまでは少ないながら武将は足りていると言えよう。
大きな問題も無くとんとん拍子にゲームは進んでいる。
だが次回、ついに少数精鋭リプレイにとって避けては通れない問題が発生する。