老将の見た夢「朝倉義景 プレイリポート」(完結編)




     武田家の最後と新たなる時代(1567年〜


東海道を東へと進む東海方面軍は降服勧告によって今川家を吸収した。
これに対し深志城、躑躅ヶ崎館に兵力を集中させた武田軍、その数なんと計12万。
現時点での武田家総兵力が20万、実に半分以上を対朝倉家の防御に回してきたのだ。
朝倉軍はこの動きに反応した。竹中重治を中心に副将として足利義輝が従軍、
他にも今川家に庇護されていた武田信虎と旧織田家臣の柴田勝家、島清興に騎馬を、
織田信長、佐々成政らに鉄砲を与えた。キラ星の如く名将たちが出陣したが、
その数はなんと僅か8万と守る武田軍に比べると小数であった。
と、言うのも北条家が駿河へ度々侵攻するようになった為である。
先に北条を討てば戦線が延び切ってしまい守りが疎かになる。
駿河に兵力をおき、残った兵で武田を攻めるというツライ選択を強いられたのである。

 「……この戦、負けるな。」

騎馬隊を率い、軍の先頭を進む信虎は野生の勘とも言える嫌なモノを感じ取っていた。
自分が武田方の大将だったらどうする? 今の武田家の勢力だったらどうする?
深志が攻められた、ならば箕輪と躑躅ヶ崎館から援軍を出す。
躑躅ヶ崎館が攻められた、ならば岩付城、躑躅ヶ崎館から援軍を出す。
8万で12万を破る、本来ならやってはいけない戦である。
さらに自分が武田の大将であれば……、
予想できる援軍の数を加えれば15万にも18万にもなる。
しかし自分は朝倉軍中にあって降将である。
先鋒を任された降将であるという立場を考えると負けもまた仕方あるまい。
むしろここで怖気付くワケには行かないのである。
ようやく見えてきた躑躅ヶ崎館はシンと静まりかえり、その様は不気味ですらあった。
自分を追放した子との決着をつける為、そして降将が生き残る為、
信虎は自らに気合を入れなお……。

 「信虎殿、暫し待たれよ。」

何時の間に現れたのか、信虎のすぐ隣には「今孔明」の二つ名を持つ男が立っていた。
彼もまた斎藤家からの降将ではあるが、
いまや朝倉家中にあって東海方面軍の主柱とも言える立場にあった。
その才略は古の名軍師「諸葛孔明」に匹敵するとも言われているのである。
(今孔明って聞くと戦国時代の三国志も正史より演義が主流だったんだろうね。)

 「今孔明殿、臆したか? 急がねば敵の援軍が来る。」

信虎は確かにこのあたりの地理に詳しかった。
いまの武田家の勢力を考えれば、来るであろう援軍の数も予測できたのだ。
しかし半兵衛は臆した様子も無くサラリと答えた。
急いては事を仕損じる。援軍は万が一にも来ないという事を……。

 「ここは敵地、何故そのような事が解る?」
 「……そろそろ北陸方面軍が春日山城を攻略する頃です。」
 「なんと? 春日山は、あの謙信の居城、簡単には、」
 「世に名高い謙信公も五千の兵で十五万の軍勢を押し返せますかな?」

北陸方面軍は多く見積もっても五万が精々、
信虎には彼が何を言っているのか理解できなかった。

 「以前、爺殿が仰っておりました。」

一乗谷城、そこは朝倉家の本拠地であり、兵舎建てまくりの要塞化した城である。
そのすぐ傍には敦賀港があり、日本海側の海運の要所であった。
そして輪島港は本願寺の旧臣が大挙して駐留し、
鍛冶場を大量建設。鉄砲の港となっていた。
北陸方面軍は越後の地に陸から五万の足軽で侵攻し、
敦賀から出た一乗谷の兵十万の水軍は輪島港を経由し鉄砲を補給。
鉄砲に秀でた旧本願寺家臣が駆る関船が一斉に柏崎港に攻寄せ、
向けられた十万の銃口が一斉に火を噴いたのである。
しかも謙信は陸奥で勢力を拡大している南部家が南下を始めたため、
それに対抗すべく北上、守りが薄くなった上杉家の春日山城はあっけなく落城。
朝倉勢はその勢いを持って新発田城まで攻略したのである。

 「海運は勢力が大きくなればなるほど力を発揮すると、」

春日山を攻略した北陸方面軍は深志城へ陽動を仕掛け、
稲葉山に残った僅かな兵もまた同時に出陣。
動揺した深志城の武田兵に躑躅ヶ崎館に援軍を出す余裕などなかった。
更に勢いを増した北陸方面軍は箕輪城へも雪崩れ込み攻略に成功。
こうなれば武田勢に勝ち目などなく、躑躅ヶ崎館、そして更には岩付城まで陥落。

 「ど、どうなっているのじゃ?」

次々と落ちていく自軍の拠点。そして迫ってくる朝倉軍。
戦国最強を謳われた武田軍もここまで、最後は鹿島港に追い込まれて降服。
完全に主導権を竹中重治に握られた形となっていた。

 「今孔明に、今老黄忠、か、」

信虎は時代が大きく変わっていく流れを感じていた。朝倉家は天下を掴むだろう。
そしてその大きな事業に自らも加わっている。そんな興奮を今は胸の中に、
翌日からでも始まるであろう上杉家との戦いを想定した軍議に臨むのであった。

 「と、いうワケで上杉攻めですが、ここで新しいお友達を紹介したいと思います。」
 「えーと、先程降服しました武田信玄です。よろしくお願いしま〜す。」

……やっぱり時代は変わったんだな。
竹中重治と信玄のやりとりを見て、
密かに涙する信虎でしたとさ、



     夢は見るモノではなく、叶えるモノ(〜1571年)


 「げほっ、げほっ、……かぁぁーっぺ!」
 「うわ、汚いなぁ。」

山口館が島津家に攻撃を受けているという報を聞いた朝倉の白い悪魔こと宗滴は、
先頃とっても仲良しさんになった毛利元就とともに吉田郡山城を飛び出した。

 「どーも年を重ねると痰の切れが悪いのぉ。なぁ毛利の爺。」
 「毛利の爺って……。某、朝倉の爺殿より随分若いのですが?」
 「世間一般のイメージじゃ。」

元就は宗滴に比べると20年も若いんだよね。
とは言え、元就も没年は1571年、もう間もなく死ぬ予定なのだ。
これはいかんと、宗滴は主君義景に寿命延長のアイテムを強請り、
元就に与えて仲良しさんになったのである。

東では我が朝倉軍は武田を打ち破り上杉を翻弄し、
遠く陸奥の国にあり、間もなく上杉、南部、蠣崎を滅ぼすであろう。
しかし、こうして中国方面軍は島津の必死の抵抗に苦戦していた。
四国に上陸した「丹波の赤鬼」こと赤井直正、「青鬼」こと籾井教業らは、
三好、長宗我部を次々と打ち破っていったのだが、
やはり海を渡った九州を制した島津が執拗に軍船で攻撃を仕掛けてくる。
最後の敵は島津家、この日本で朝倉に抵抗するのは島津だけとなったのである。

さて、ようやく山口館が見えてくると島津軍は完全に山口館を包囲しており、
一斉に大量の銃口が火を噴いていた。鉄砲隊の威力、恐るべしである。
朝倉方の山口館には主家滅亡によって追われた立花道雪、高橋紹運らが
足軽隊を出撃させ必死の防戦を繰り広げていた。
が、鉄砲に囲まれ、次々と打ち込まれる銃弾に苦戦。
最近鉄砲技術に手を出した朝倉軍ではあるが、さすがに島津が一枚上手であった。
そこへ「朝倉の白い悪魔」と「毛利の謀略爺」登場である。
今にも二段撃、三段撃と必殺攻撃を繰り出さんとする島津鉄砲隊に雪崩れ込むと、
その圧倒的な白い悪魔の武威を見せつけ「威圧」する。

 「いかん、朝倉の白い悪魔だ。退け、退けぇ!」
 「待っておったぞ!」

逃げ腰になった島津軍の裏手に回り「混乱」を誘う元就。
これで朝倉軍は息を吹き返した。

 「おのれ、毛利の糞爺め!」
 「やっぱり爺って、糞まで付けられて言われるのか……。」

爺扱いなのか糞扱いなのか知りませんが悲しむ元就であった。
しかしその活躍で退路を絶たれた島津軍はお得意の中央突破で……、
いや、ゲームシステム的にそれはムリなのだった。
完全に浮き足立った島津軍に道雪隊は強襲し殲滅。
この戦で大量の鉄砲を失った島津軍は下関港へと引き篭もるも、
時、既に遅し、完全に息を吹き返した朝倉軍に抗うコトも出来ず本州から脱落。
意気揚がる朝倉軍は関船で下関港を出港、門司港を目指す、が、

 「耄碌爺どもに先進技術の鉄槌をっ!」
 「おのれ、あのデカい船はなんじゃ?」

なんと、どこに隠し持っていたのか、安宅船を繰り出してくる島津義弘、
本来水軍技術は大したコトないが、鉄砲が怖い、恐ろしい。
恐らく有馬家がせっせと作っていたのを奪ったのであろう。
と、いうか歯が立たない。関船と安宅船ではこんなに強度が違うのか?
弓や鉄砲で撃ちまくっても技術的には二流の鉄砲。二流以下の弓。
更には三流以下の水軍技術では安宅船に歯が立たない。
さすがの爺たちも結構キツイ戦いに大苦戦を強いられる。

だが、四国を制した朝倉の赤鬼、青鬼が佐伯港へと出撃。
その傍らには主家滅亡後、四国を放浪していた村上武吉、来島通康、
そして山城を放浪していた九鬼嘉隆といった水軍に秀でた将が立っていた。
島津の安宅船の殆どは下関海戦に出払っていた為か、佐伯海戦には出撃できず、
どうにかこうにか佐伯港を攻略、そのまま府内城へと乗り込む。
九州上陸に成功さえすれば足軽技術に秀でる朝倉軍。
それほど苦戦せずに攻略できるであろうと考えたのである。

 「わはは、我ら海の男には敵わないだな!」
 「うっさい、喰らえ鉄砲の威力。思い知れ先進技術の結集。」

     てっぽー、ばーん。
     お次もっ、ばーん。
     もひとつ、ばーん。

九鬼嘉隆、討ち死にっ!
誰が放ったか知らないが、凶弾が九鬼嘉隆を襲い呆気なく戦死。
府内城での苦戦、そして暴れまわる安宅船。
「これは最後の最後で強敵出現か!?」と思った宗滴であったが、
思いも因らぬ援軍が現れたのである。

   凶作……。

さらにはここ数ヶ月戦い続けていた島津。
兵糧が底を尽き戦線が崩れたのである。
こうなれば爺たちも勢いを盛り返し、
兵糧の無い島津軍の拠点を次から次へと攻略。
1571年、ついに天下は朝倉の下に落ち着いたのであった……。
九鬼嘉隆、ある意味無駄死にした君をわたしは忘れない……。


     朝倉一乗谷幕府(プレイ終了)


どうも宗滴は落ち着かなかった。
天下は朝倉の下に統一され主である義景も征夷大将軍となった。
自らも無事にこの戦乱の世を乗り越えた。だが、どーも落ち着かない。
結局最後まで戦い続けた朝倉の白い悪魔、宗滴は九十五になっていた。
最後、共に島津と戦った毛利の爺ですら七十五、生き過ぎたと感じた。
戦場で死すは武人の本望。だが自分は? 死に場所を失った気がしたのだ。
だが、義景は言った。これからが本当の戦いだと、
治世を維持し、さらに発展させなければならない重要な戦いが待っている。
しかしそれほど重要な戦いならば、老兵はそろそろ退くべきなのではないか?

ある日、義景は家臣らを招き茶会をひらいた。
やってきたのは織田信長、百地三太夫、足利義昭……。
もっとも戦場を駆け回った宗滴の姿はなく、
義景もまた寂しく思っていた。

その後、宗滴は幕府の重役を賜るが固辞した。
これまでの戦で命を散らしていった自分より若い者たちへの供養のため、
そして自らの戦いの記録を残すためにと書を残し、
山中へと籠り隠遁生活を楽しんだという。
書には宗滴の戦の「いろは」が書き込まれていたものの、
誰も真似が出来そうに無い、とんでもない兵法ばかりだったという。
後の世、宗滴が籠もった山には白髪、白髭の天狗が現れるという噂が広がった。
朝倉の白い悪魔、朝倉宗滴が山の神になったと人々は考えたのであった。

さて、これで朝倉家リプレイは終了です。
長い間お付き合いくださりありがとうございます。
結局、宗滴は死ぬことなく最後まで主力として戦ってくれました。
寿命延長のアイテムって思ったより強力なアイテムなんですね。
さて、次回はかなり厳しい戦いになるであろう、今川家リプレイです。

   え? なんで「厳しい」の? 強いよね?

えぇ、今川家は強いです。朝倉家よりはるかに強いです。
武田、北条と同盟を組んでいて後顧の憂いすらありません。
だけど進めれば進めるほど苦しいリプレイになるでしょう。
詳しくは以下次回! と、言ったところで今回は終了です。
お疲れ様でした。