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  放たれた荒馬「相馬顕胤&盛胤プレイリポート」(その3)

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     相馬包囲網(1547年7月〜


関東をほぼ制圧した相馬軍は周囲を完全に包囲されていました。
北陸越中の長尾(後の上杉謙信家)、信濃の小笠原、甲斐の武田、相模伊豆の北条が手を組み、
天下に羽ばたこうとする相馬家を攻撃しようと言うのです。

 「父上、それがしが全て片付けまする、ご安心くだされぇぇぇ!」

と元気良く盛胤はいいますが、事態はそんなに易しくありません。
さっそく越中富山城から春日山城へ長尾軍が侵攻を開始、
ほぼ同時期に北信濃葛尾城からは小笠原軍が箕輪城へ侵攻します。
さらに甲斐の武田からは百足衆が岩付城へ行軍。

騎馬隊に優れる相馬家ですが、
実際に騎馬隊を率いて戦場を疾駆する武将は数える程しかいません。

 「盛胤、どうやって全て片付けるつもりか?」
 「……父上ぇぇぇ、それがしの考えを聞いてくださりますかぁぁぁ?」

簡単に全てを片付けると言ってもそれは無理でしょう。
しかし顕胤は自分の子に何か力強いモノを感じていました。
おそらく家臣たちもそうでしょう。

 「まず、三春衆は岩付城の防備に呼んでくだされぇぇぇぇ!」

これまで騎馬隊で相馬家の合戦に力を貸してくれていた諸勢力「三春村」
彼らを攻城戦に長けた諸勢力「百足衆」にぶつける、これはいい策です。
恐らく野戦においては負けないでしょうし、岩付城からの間接攻撃も期待できます。

 「春日山城には弓術が得意な者を集めろぉぉぉぉ!
  敵が襲来しても恐れる事は無い、城の上から矢を降らせるのだぁぁぁ!
  騎馬の指揮に長けた者は我に続け、箕輪城の救援に向かうぞぉぉぉぉ!」

箕輪城へと侵攻している小笠原軍は弓技術に優れていますが、
一気に近付いて騎馬隊で薙ぎ倒すつもりのようです。
春日山城へと向かっている長尾勢は相馬家同様騎馬技術を伸ばしており、
下手に野戦で殴りあうと軍馬を大量に失う可能性があります。

騎馬隊の不得意なこと、それは建造物への破壊力が乏しいこと。
長尾の騎馬隊に城門を攻撃されている間、
じっと我慢して城の上から弓矢で狙うのが上策、
盛胤の言ってる事は全て的を得ているのでした。

 「うむ、皆、盛胤の指揮に従うように!」

顕胤も満足そうに頷きます。
諸将も気合十分です。

 「「「おぉぉぉぉーーーーっ!」」」

相馬家の包囲網に対する対応は迅速で的確でした。
三春衆は百足衆を撃退し、箕輪城に集結した相馬騎馬隊は小笠原軍を駆逐。
春日山城では城の耐久力を削られましたがそれ以外の大きな被害はなく、
包囲網の第一波を受け流したのです。

 「……して、盛胤、次はなんとする?」
 「岩付城の兵馬が整えば小田原の北条を攻めまするぅぅぅぅぅぅ!」

この戦いの前に、北条勢は岩付城に篭る太田軍に攻撃を仕掛けていましたが、
その太田家は落城寸前に相馬家に降伏、岩付城を攻めていた北条の兵は、
突如現れた相馬軍の騎馬隊に薙ぎ倒されてしまい小田原城の兵力は消耗していました。
それに対し、相馬家の岩付城は武田の指示で百足衆が攻撃を加えたものの、
三春衆の防戦でほぼ無傷のままです。

 「若様、岩付の兵馬は既に準備を整えております。」

田村隆顕がそう言うと盛胤は顕胤を見ます。
ゆっくりと頷く顕胤、

 「包囲網を恐れる必要は無い。我らの強さを天下に鳴り響かせよ!」

顕胤の号令に従い相馬軍は小田原へ侵攻。
天下にその名を示す堅城、小田原城もさすがに救援も後詰もなければ怖くありません。

北条側が出撃させた迎撃部隊は僅か足軽一万程、
相馬騎馬隊は北条勢を取り囲むように攻撃しこれを壊滅させました。
相馬足軽隊は小田原城の城門を攻撃、
この間に騎馬隊は相模伊豆の諸勢力「風魔忍者衆」を屈服させます。
必死の抵抗を見せる小田原城兵ですが、1547年7月に落城。
こうして北条氏康は相馬家に下ったのです。
氏康はさっそく顕胤、盛胤父子の前へと引き出されました。

 「相馬の若君は面白い御仁だと聞いております。
  あの、長野業正を籠絡したとの噂は御本人の耳にも届いていることでしょう。」

氏康は敗軍の将でありながら堂々と現れました。
氏康の言う通り盛胤は業正を登用した人物として関東界隈では有名人です。

 「なんと無礼な!」

盛胤の近習達は刀に手を掛けますが、
盛胤はそれを制します。

 「面白いかどうかは知らぬが、
  それがしも氏康殿の事は噂にきいているぞぉぉぉぉぉぉぉぉ!
  政(まつりごと)に関しては東国一と聞いているぞぉぉぉぉぉ!
  その手腕を是非貸して戴きたいのだぁぁぁぁ!」

盛胤が頭(こうべ)を垂れます。

 「ひとつだけ条件がありまする。
  この氏康だけでなく、我が家臣も使ってくだされ。」

氏康もまた平伏して言います。

 「わたしは使いこなす事ができませんでした、が、
  我が家臣どもは武田や長尾の将たちにも負けない優秀な者だと
  わたしは自信を持っております。」

その場が一瞬静かになりましたが、
つぎの瞬間、盛胤が長く息を吐きました。

 「何を言い出すのかと思ったらそんなことかぁぁぁぁ、
  もちろん、そのつもりでいたぞぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ、
  父上もそうだと思うぞぉぉぉぉぉぉぉ。」

顕胤は静かに微笑んで

 「盛胤に任せる。」

とだけ言いました。かくして相模の獅子「北条氏康」は
猛将「北条綱成」、黒備の軍師「多目元忠」らと共に相馬家へ仕えるようになったのです。


     黒備(1548年9月〜


日の入りが早くなった初秋、
薄暗くなった顕胤の屋敷に訪ねてきた者がおりました。

 「殿と若様のお耳に入れておきたい事がありまして……、」

それは多目元忠を伴った北条氏康でした。

 「確かな情報ではないのですが元忠に興味深い情報が入ったそうです。
  よろしければ聞いてやって貰えませぬか?」

多目元忠、北条五色備の「黒備」を率いた。北条氏康の軍師、
かの河越夜戦で深追いした氏康を呼び戻すため、
独断で全軍に退却の号令を発し氏康を救った人物らしい、
あんまり詳しく知らないのでウィキペディアで調べようとしたのですが、
まだ詳しく書き込まれていなかったのでやっぱりよく知らないわたし、ごめんなさい。

 「確かではない……か、申してみよ。」
 「それがしも聞きたいぞぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」

黒い装束を身にまとった多目元忠は二人に一礼してから

 「恐れながら、……今すぐに春日山城へお向かい下さい。
  我が手の者が長尾軍の動きを捕まえまして、
  長尾勢は飛騨方面へと進軍、越中は手薄との知らせが入っております。」

1548年、相馬包囲網を敷かれてから二年の歳月が過ぎていました。
周辺勢力の相馬家に対する圧力が薄れてきていました。
ゲーム的に言えば包囲網の効果が切れる時間です。
あ、こうやって書いちゃうと雰囲気ぶち壊しですね。

 「もし、それが本当であれば長尾勢を倒す絶好の機会だぞぉぉぉぉ!」

相馬包囲網と共に南越後春日山城へと侵攻した長尾勢、
実際に野戦で戦っていればどれほどの力を見せ付けたのか想像しかできませんが、
長尾家の当主は戦上手で知られる長尾景虎(後の上杉謙信)です。
噂ですが、彼の部隊と直接渡り合った部隊は一瞬で蒸発するとまで言われているのです。
鬼の居ぬ間に洗濯ならぬ、景虎が居ない間に富山城を攻撃したいところです。

 「しかし、確かな情報とは言えぬのだろう?」

顕胤の表情は自然と曇ります、

 「はい、長尾の調略やも知れません……。」

元忠はそれでもまっすぐと顕胤と盛胤を見つめています。
この機会を逃すのか、それとも絶好の機会を得るのか、
しばらく沈黙があたりを包み込みます。

 「父上ぇぇ、それがしが行って参りますぅぅぅぅぅ!
  氏康と元忠には供をしてもらいますぅぅぅぅぅ!」

その静寂を破ったのは盛胤でした。

 「いつも父上は家臣の事を信じろと言っておりましたぁぁぁ!
  故にそれがしも元忠の事を信じまするぅぅぅぅぅぅ!」

それに顕胤はゆっくりと頷きました。

 「……ならば盛胤に任せる。」

数日後、春日山城から総勢五万の兵馬を引き連れて越中へと向かう相馬軍。
元忠の言う通り長尾勢は飛騨に侵攻しておりました。
しかし、長尾勢も相馬軍の動きに気付いたのか退却を始めます。

 「若様、どちらにせよ、長尾勢は手負いです。」
 「元忠の言うとおりだぞぉぉぉぉぉ、全軍富山城に突撃だぁぁぁ!」

長尾勢は富山城へと急ぎ戻ります。
それなりに傷兵の回復はあるでしょうが、
長尾お得意の騎馬隊を率いるための軍馬は回復しません。
相馬勢への迎撃部隊に出てきたのは足軽部隊でした。

 「……これで勝てますな。若様。」
 「よーし、騎馬隊前へ、長尾勢を叩くぞぉぉぉぉぉ!」

長尾景虎と言えど馬にさえ乗ってなければまだなんとかなります。
(まぁ、領国も越中だけ、騎馬技術の研究は進んでいないようですが)
そこへ相馬軍の技術研究された騎馬隊が攻撃にしてくるのですから
さすがの長尾景虎も思い通りの戦いはできないのでしょう。

この一戦で勝敗は決したようなもの、あとは富山城に残る僅かの城兵だけです。
相馬軍は騎馬隊、足軽隊ともに城へと張り付き城門を激しく攻撃します。
その中には足軽適性がSの北条氏康、長野業正、上泉信綱の姿、
こうして越中富山城は落城、長尾家は滅亡したのです。

これを機に相馬包囲網を敷いていたもうひとつの勢力、
小笠原家も北信濃葛尾城へと押し込んで攻略、
北条氏康の戦振り、多目元忠の知略は天下に轟き、
また、そんな家臣たちを信じて重用する盛胤の名も広まっていくのでした。


     相馬騎馬隊、北へ(1549年8月〜


長きに渡って伊達家と同盟を結んできた相馬家ですが、
その同盟期間にも終わりがやってきました。
同盟を延長するか、それとも対決するかを決断する時がやってきたのです。

伊達家はゲーム開始時は最上家、大崎家を攻略し、
いちはやく四つの本城を有する勢力に成長しましたが、
その後、伸び悩み、いまも変わらず四つの本城しか持っていません。

同盟相手としては相馬家の北側と全て接しており背中を預けている格好になります。
それまで共有していた足軽技術ですが、
現時点で同じ技術を独自開発できるようになっています。

 「殿、お忘れになっていませんか?
  伊達稙宗は我らを計略に嵌めたのですぞ。」

蘆名盛氏は、そう言いました。
蘆名盛氏と相馬顕胤の戦いの原因は伊達稙宗の策略だったのです。
とは言っても証拠はありませんが……。

 「今はおとなしくしておりますが、
  後々災いの元凶となるような気がしてなりません。」

盛氏は徹底交戦を主張し諸将もそれを了承しました。
ただ一人だけ浮かない表情の多目元忠、
盛胤に耳打ちをします。

 「若様、今川が不穏な動きを見せております。
  周辺大名となにやら会談を重ねているとの事、
  伊達を攻撃している間に背後で何かおこるやも知れません。
  それだけは注意されますよう……。」

うん、と頷く盛胤、

 「領内防衛の為に守備兵は残していくから大丈夫だと思うぞぉぉぉぉ!
  ただ、気になるのなら氏康と元忠も守備兵と残ってもいいぞぉぉぉぉ!」

相馬家の武将の層も厚くなりました。
主力メンバーを入れ替えれるくらいに余裕が出来たのです。
旧里見家臣、正木時茂の足軽適性はS、
旧太田当主、太田資正の足軽適性はAだけど家宝によってSになっています。
何人か主力が抜けてもちゃんと誰かがフォローしてくれます。

 「ならば、新しく手に入れた領地の整備をしておくとしましょう。
  何人か政(まつりごと)に長けた者をわたしに預けて下されば助かります。」

かくして、北条氏康、多目元忠らを関東に残した相馬軍は、
それまで同盟相手だった伊達家の領土に侵攻を開始しました。
対する伊達軍は思ったより抵抗出来ないでいました。

実は、今回の蠣崎家が頑張りまして、本州上陸し西陸奥の石川城を攻略しました。
蠣崎家は北羽後の安東家と同盟関係にありまして、
伊達家は安東家と戦う際に、蠣崎家の援軍に大いに悩まされます。
その後、どうにか安東軍を倒した伊達家ですが蠣崎は依然強固に抵抗し、
東北制圧に苦労していたのです。

相馬家は東北南部の各城奉行に兵士と軍馬を蓄えるよう指示しておりましたので、
疲弊した伊達家との戦いは優位に進みます。
1549年9月に米沢城攻略を皮切りに10月に西山城を攻略、
11月には山形城を降し翌年1月には名生城の攻略に成功しました。
まさに破竹の勢いで北上していく相馬軍でしたが、
ここで多目元忠の悪い予感が当たってしまうのです。

 「多目様、火急の報せが風魔忍者衆に入りましたぞ!」

身なりは汚らしいが眼光鋭いひとりの男が元忠の下に現れました。
元忠が使っている間者のひとりです。

 「今川家、織田家、朝倉家が対相馬を合言葉に大連合を組みました。」
 「なんと、して、盟主は誰か?」
 「は、今川義元にございます。」

東海地方から畿内へと進出した今川家、
それに抵抗を続けていた織田家、
北陸から山陰に向けて領土を拡大した朝倉家、
この三家がひとつになって相馬家に対抗するのだという。
強大化した今川家が誕生したのです。

 「もうひとつ、悪い知らせが、」
 「なに?」

間者の話に元忠は表情を曇らせました。
近年、武田家は兵力を増強し七万の軍勢を甲斐躑躅ヶ崎館に集結させておりました。
これに対し、相馬家は岩付城の西側に支城「岩殿城」を築城し対応する事にしましたが、
その岩殿城へ向けて武田七万の軍勢が迫っていると言うのです。

 「巨大化した今川に、襲い掛かる武田か……。」

東北地方を北へと駆け抜ける相馬家に新たなる暗雲が広がります。
今川家の本城の数は十二という大勢力、武田の兵力は七万、以下次回に続きます。


   〜〜〜 これまでの主な出来事 〜〜〜


 1547.07 北条氏康の小田原城(相模伊豆)を攻略、北条家は滅亡

         武田家に仕える百足衆から再三の攻撃を受ける

 1548.09 長尾景虎(後の上杉謙信)の富山城(越中)を攻略、長尾家は滅亡

 1549.05 小笠原長時の葛尾城(北信濃)を攻略、小笠原家は滅亡

     .08 伊達家との同盟が切れる

     .09 伊達稙宗の米沢城(南羽前)を攻略する

     .10 伊達稙宗の西山城(南陸前)を攻略する

     .11 伊達稙宗の山形城(北羽前)を攻略する

 1550.01 伊達稙宗の名生城(北陸前)を攻略する

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