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  放たれた荒馬「相馬顕胤&盛胤プレイリポート」(その2)

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     駿馬覚醒(1554年1月〜


徐々に勢力を拡大する相馬家、そして今年は伊達家との同盟が切れる年、
様々な不安要素が交錯しますが、そんな相馬家にちょっとした出来事がありました。

 「父上ぇぇぇ、それがしも元服しましたぞぉぉぉぉぉぉぉっ!」

宇都宮城で戦力を整えている顕胤のもとへ駆け寄ってくる若者。彼は顕胤の嫡男、相馬盛胤です。
幼い頃から馬術に興味を持った盛胤、馬の扱いは父の顕胤以上の腕前だと噂される期待の新星です。
ゲーム的に言うとお父さんの顕胤は騎馬適性B、息子盛胤は騎馬適性Aです。
適性が高いほど部隊の能力が上がるそうですが、
どれだけ違うものだろう、うーん、ちょっと詳しくわかんない。
ともかく強くなるんだったら何でもいいですね。

 「是非とも次の合戦にはこの盛胤を連れて行ってくだされぇぇぇ、
  かならずやお役に立てると思いまするぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ。」

ちょ、ちょっと、いままで結構渋い展開だったのに、
とんでもないキャラクターが登場しちゃいました。

 「はははっ、若様は元気でよろしいですな。殿。」

田村隆顕、相馬家の騎馬隊を率いる優秀な指揮官です。
彼もまた騎馬適性A、頼りになります。

 「これで隆顕殿も少しは楽になりましょう。」

蘆名盛氏、黒川城での敗戦以来、顕盛の良き相談相手を務めてきました。
彼の助言は慎重かつ的確で相馬家の飛躍の原動力とも言えます。
盛胤はこういった優秀な武将たちを見て成長してきました。
きっと、この若武者も素晴らしい活躍を見せてくれる事でしょう。

 「されど、殿、伊達との同盟は如何するおつもりで?」

隆顕は言いました。
伊達家とはゲーム開始から百二十ヶ月という長い同盟期間がありました。
しかし、その同盟も今年5月に切れることになっています。
伊達家は東北を北へ北へと侵攻しており、現在四つの本城を保有する大勢力です。
相馬家は伊達家の領地の南側を東西に勢力を伸ばしており、
伊達家よりひとつ多い五つ本城を有しています。

 「うむ、相手の出方を見たいところだ。」

更に1年後には佐竹家と組んだ同盟も切れる予定になっており、
顕胤に重要な判断を迫る時期になってきました。
伊達とどうやって付き合っていくか、佐竹とどうやって付き合っていくか、

関東では里見、佐竹、太田、北条、上杉憲政が覇権を争っており混迷の度合いを深めております。
東北では伊達家が大きく成長しており下手に敵対すれば大きな障害になるでしょう。

相馬家は東西に領土が広がっており、その全てが伊達家を含む前線になっている為、
各地の城下で奉行を決め、兵力と軍馬をあつめています。
いざ、伊達とぶつかるとしても、それなりの対応ができそうです。

 「言うなれば、やる気十分という事だぞぉぉぉぉぉぉぉぉ!
  うぉぉぉ、腕が鳴るぞぉぉぉぉぉぉぉぉ!」

そんな盛胤に残念な知らせが飛び込んできます。
伊達家から新たに同盟の締結を願う使者がやってきたのです。

 「相馬家とは是非、共に天下を目指したいと考えております。」

使者の言葉をそのまま信じたわけではありませんが、
顕胤はこの同盟を結ぶことに決めました。
前回同様、佐竹家と同盟を結ぶことができるか分かりませんし、
関東の情勢は不安定で先が読めないからでしょう。

 「と、なれば、それがしの初陣の相手は誰だぁぁぁぁぁ!」

まぁ、落ち着いて盛胤くん。
戦う前に落ち着いて情勢を見極めるのも大事な作業です。
前回、春日山城で上杉憲政勢と戦い勝利していますので、
手負いの上杉憲政家を狙うのが妥当だと言えます。
ちなみに上杉憲政家は上野箕輪城を本拠地としています。

佐竹家は古河御所にまで勢力を伸ばした里見家と、
太田家は岩付城へ侵攻してくる北条勢と戦う流れになりそうです。
やはり、ここは上杉憲政家を攻撃するのが上策でしょう。

 「いよいよ待ちに待った初陣だぁぁぁ! 騎馬隊は我に続けぇぇぇ!」

ちょっと待って、

 「若様、おひとりでは危険すぎます。
  まずは殿と一緒に部隊を編成しましょう。
  わたしもお手伝い致します。」

冷静に部隊編成をする田村隆顕、さすがです。助かります。
自らの武勇に自信を持っているのは良いことかもしれませんが、
戦(いくさ)はひとりで行うモノではありません。

 「おぉ、これが教本に載っていた『ちーむわーく』というヤツかぁぁぁっ!」

どんな教本かは知りませんがチームワーク大事です。
相馬顕胤の戦法「騎馬強化」で部隊そのものを強化し、
その上で突撃を敢行すれば、それなりの効果が出るのです。

 「それがしの戦法『突撃之三』は役に立つのかぁぁっ!?」

十二分に役に立ちます。
これまで相馬家臣団の戦法は「突撃之二」までしか使えませんでしたが、
盛胤は「突撃之三」を使うことが出来ます。
「突撃之二」は相手にダメージを与えると同時に士気にもダメージを与えます、
「突撃之三」は相手にダメージを与えると同時に動揺状態にします。
「動揺状態」に陥った部隊は部隊の能力が低下し戦法を使用できなくなるのです。
ほら、盛胤の「突撃之三」はかなり頼もしい戦法だといえるでしょう。
「突撃之四」「突撃之極」など、もっと強力な戦法もあるんですけどね。

そんな、やる気マンマンの盛胤を含む相馬騎馬軍団は上野箕輪城へと向かいます。
南越後春日山城での敗戦で上杉憲政軍の兵力は消耗しており、
まともな迎撃部隊を出せないまま相馬軍が箕輪城へと取り付きます。
しかし、

 「怯むな、敵の騎馬隊を城門で抑えるのじゃ!」

落城寸前でも必死に城を守ろうとする将がひとり、
自らも槍を振るい襲い掛かる騎馬兵をばったばったと倒していきます。
しかし、さすがに数が違い過ぎました。

 「くっ、ここまでか……。いや、まだだ、ここは死んでもわしが守る。」

両膝がガクっと地に着きました、が、槍を杖に立ち上がろうとします。
返り血で真っ赤に染まった具足姿はさながら地獄の鬼にも見えます。

 「父上ぇぇぇっ! この将はそれがしに任せてくだされぇぇ!」
 「いかん、戦場では死兵が一番怖い、退くのだ盛胤!」
 「皆のもの、若様を止めろ!」

しかし盛胤は鬼の如き将の前へと向かい下馬したではありませんか、
手にしている槍を捨て、腰の刀も抜かず歩いて行きます。

 「お前の武勇はあっぱれ、素晴らしいぃぃぃぃぃ!
  しかし、この城はもう落ちているも同然だぁぁぁぁ!
  ここで命を捨てるより、その武を我らに貸していただけぬかっ!?」

なんと盛胤は戦場で敵に頭を垂れているではありませんか、
こわい、きけん、なにやってるの、こいつ、ところが、
鬼の如き気配を放っている将も眼光鋭いままですが盛胤の方を向きました。

 「……面白いことを言う若造だ。御名を聞こう。わしは長野業正、」
 「それがしは相馬顕胤が嫡男、相馬盛胤だぁぁぁぁぁ!」

 「皆、早く若様をっ!」

田村隆顕が叫びます。
しかし、それを静止する顕胤、

 「よい、盛胤に任せる。」
 「ですが、殿!」

彼の将から鬼の如き気配が弱まった感じがしました。
が、その眼光の鋭さは衰える事無く盛胤に向けられています。

 「敵の御大将の御子息が直接調略を仕掛けてくるとは面白い。
  御子息は何の為に戦っておるか伺いたい。」

 「それがしが戦う理由。それは父上の為だぁぁぁ!」

長野業正は杖にしていた槍を両手に持ち直しました。

 「そうか、残念な答えじゃ……。」

いまにも突きかかりそうなその刹那、

 「だが、父上は万民の為に戦っておる。
  故にそれがしは父上の為に戦うのだぁぁぁぁ!」

盛胤の答えに満足したかのように、
業正は槍を止め、膝から落ちるようにその場に倒れたのでした。
その日のうちに箕輪城は陥落、上杉憲政家は滅亡しました。

 「隆顕、わしは親馬鹿かもしれぬ、が、盛胤は大器を持っていると感じた。」
 「殿は親馬鹿ではありませぬ。若様はきっと立派な大将になるでしょう。」

戦いの余韻が残る箕輪城から微かに見える朝日を見て、
顕胤、隆顕主従はまだ若い盛胤に天を駆ける天馬を見たのでした。
その後、長野業正は相馬家臣となり、
幾多の戦場を相馬の足軽部隊を率いて戦うようになるのです。


     関東攻略(1545年6月〜


相馬家は佐竹家との同盟が切れると、すぐさま常陸へと侵攻を開始しました。
精強な騎馬軍団の先頭を駆けるは相馬盛胤が率いる一団、
また、その後方を土煙を上げて駆ける足軽部隊は
長野業正、蘆名盛氏らが指揮します。

何故、ここにきて急に足軽隊を出してきたのか、
それは文化の振興と関係があるのでちょっと解説しましょう。
公家館をたくさん作ると振興できる文化の中に
「古今伝授」というのがありまして、
これを持っていれば同盟相手の技術を使用できるのです。
そ、つまり、いまの足軽隊は伊達家の技術で強化されているのです。

   ばばーん

基本的に騎馬を優先して技術を取得している相馬家としては助かる文化です。
長野業正は足軽適性S、蘆名盛氏は足軽適性Aという風に、
高い適性を持っている武将がいるので技術さえあれば戦える。

騎馬隊は建造物に対する破壊力が弱いため、
建造物に対する破壊力が高めの足軽部隊が一緒だと色々助かります。
真っ先に敵領内へと入り込む騎馬隊が敵迎撃部隊を駆逐し、
敵の城へ辿り着いたら騎馬隊と足軽隊が城門を一緒に攻撃するのです。

うん、なかなか素晴らしい連係プレイを見せるようになりました。
これは伊達と同盟を切る前にある程度足軽技術を得たいところ。
プレイヤーとしてはそう思っているのですが、どうなることやら、

 「敵、迎撃部隊を撃破したぞぉぉぉぉぉぉぉ!」
 「若に続けーっ!」

佐竹家の太田城に張り付いた足軽隊は執拗に城門を攻撃、
上杉憲政家の滅亡によって長野業正と共に登用できた
上泉信綱の戦法「燕飛」が乱れ飛びます。

実は相馬家と戦う前に古河御所を制圧している里見家と交戦していた佐竹家には
大きな抵抗する力は残されていなかったのです。
言うなれば火事場泥棒なんですが、これも乱世の倣い、
弱みを見せたら以前の同盟相手でも容赦なく食い潰していくのです。

太田城下を開発し兵馬を整えるのに一年。
相馬軍は関東平野を西へと駆けて行きます。
次の標的は佐竹家と交戦してから城の修復を終えてない里見家の古河御所です。
里見軍は安房上総の久留里城から援軍を派遣しますがこれを野戦にて騎馬隊が撃退。
足軽隊は耐久度がほとんど回復していない城門を殴ります。
これにより大きな損害を出す事無く古河御所を攻略できました。

また、このタイミングでお隣の岩付城は太田家が保有しているのですが、
北条家に攻撃されており、明日にも滅亡という状態で相馬家の降伏勧告に応じた為、
すぐさま相馬騎馬隊が岩付城へと駆けていき北条家の足軽隊を蹴散らします。
そうです、優先して研究していた騎馬技術が徐々にその力を見せつけ始めたのです。
一般的な足軽隊には、ほぼ負けません(もちろん野戦での話ですけど)
この後、久留里城に立て篭もる里見軍も上泉先生の「燕飛」で吹き飛ばしました。

このように徐々に成長する相馬家、
各地の群雄はそれを良しとはしませんでした。

 「殿! 大変な事になりましたぞ!」

朝一番に顕胤の元へ駆けつけた蘆名盛氏の額には大量の汗が、
走ってきたから汗をかいたのではなく、早馬の報告に冷や汗が止まらないのでした。

 「どうした盛氏、なにを慌てておるのだ?」
 「若様も聞いてくだされ、大変でございます。」
 「何が大変なのだぁぁぁぁ!?」

盛氏の報告は衝撃的なモノでした。
関東を囲む群雄達が相馬家に対し包囲網を敷いたのです。
北陸越中の長尾(後の上杉謙信家)、信濃の小笠原、甲斐の武田、相模伊豆の北条が手を組み、
相馬家を叩くと宣言したのですから一大事です。

さいわい伊達との同盟は継続していますので
北からの攻撃は受けません、これで少しは安心できますが、一気に対戦相手が増えました。
はたして今後、相馬家はどのようにこの苦境を乗り越えるのでしょうか?
そのお話は以下次回ということで……。

 「父上、それがしが全部の敵を倒してきますぞぉぉぉぉぉぉ!」
 「いくらなんでも一気には無理だと思うぞ。」


   〜〜〜 これまでの主な出来事 〜〜〜


 1544.06 伊達家との同盟が切れる

 1544.07 伊達家から同盟の使者 伊達稙宗と六十ヶ月の同盟を締結

     .08 上杉憲政の箕輪城(上野)を攻略、上杉憲政家は滅亡

 1546.06 佐竹家との同盟が切れる

         佐竹義昭の太田城(常陸)を攻略、佐竹家は滅亡

 1546.04 里見義尭の古河御所(下総)を攻略する

         太田資正が相馬家に降伏

 1546.08 里見義尭の久留里城(安房上総)を攻略、里見家は滅亡

     .09 [長尾・小笠原・武田・北条]による相馬包囲網が発生

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