コーエーテクモゲームス様 信長の野望「天道」パワーアップキット

  放たれた荒馬「相馬顕胤&盛胤プレイリポート」(その1)

   前へ戻る    目次に戻る    次へ進む




     放たれた荒馬(スタート前〜


さて、今回のリプレイの主人公は相馬顕胤&盛胤父子です。
ですが、わたし、彼らの事はよく知りません。
そこで「コーエーテクモゲームス出版部」編の天道武将ファイルに書いているのを読んでみる。

   ……って、会社名長いなぁ。

コーエーテクモゲームス、長い、長いよね? まぁ、仕方ないけど、
まず、お父さん、相馬顕胤について、ちょっとしか書いてない、
妻が伊達稙宗の娘だった為「天文の乱」は伊達稙宗を助け伊達晴宗と戦っている。

身の丈六尺の大男で鉄の軍扇を自在に操れた恵まれた体格、
(一尺約30.3cmだから182cmくらい、当時としては大きいなぁ)
伊達晴宗と繰り広げた謀略戦を行う知略も備え、
また、民衆を愛し広く公平な政(まつりごと)をした為、
民衆は崇敬の念を持っていたと言われているらしい。

   ちょっと待て「天文の乱」とはなんぞや?

伊達稙宗は自分の息子や娘を使って奥州の大名や有力国人と姻戚関係になり、
その宗主になろうとしていた、実際、稙宗の思惑通り周囲を固める事に成功したのだが、
1542年、伊達稙宗は三男の実元を越後守護上杉定実のもとへ養子に出そうとしていた。
長男である晴宗はこれに反対し、伊達父子が争う天文の乱が始まったワケだ。
奥州中の大名や有力国人と縁戚だったので親子喧嘩も規模が大きくなったんだね。

……うあ、なんか相馬家のコトより伊達家の説明になっているような気がする。
と、とにかく相馬顕胤は「天文の乱」で伊達稙宗の味方をし伊達晴宗と敵対した。
その後、伊達稙宗は隠居し晴宗を当主とする事で「天文の乱」は終結するのだが、
こうして伊達晴宗の代から伊達、相馬両家の関係が悪化し始めたようです。

さて、息子の相馬盛胤について、前述したとおり伊達晴宗との関係が悪化した後、
友好関係にあった田村清顕に妹を嫁がせて地盤を固めている。
武勇にも優れ伊具郡などを巡る伊達家との抗争でもしばしば勝利をおさめている。
この盛胤の代に相馬家最大版図となった。
1578年、盛胤が隠居すると長男である相馬義胤が家督を継いだ。
その後は義胤の補佐役となっている。

孫、義胤についても書いておこう。顕胤、盛胤同様に武勇の士であった義胤は、
激しく伊達家と戦いを繰り返す、が、伊達政宗の台頭によって相馬家の勢力も弱まっていく、
しかし、豊臣秀吉の小田原攻めにいち早く参陣した為、六万石の本領を安堵された。
関ヶ原の戦いではほぼ中立の立場だったようだが上杉景勝に通じていた為、改易されている。

うん、彼らは決して暗愚ではない。むしろ優れた武将たちだったと言える。
そんな彼らとその配下武将のの能力値は以下の通り

   武将名   統率 武勇 知略 政治 足軽 騎馬  弓 鉄砲 兵器 所持戦法

   相馬顕胤   77  68  70  79  C   B   D   D   D  騎馬強化
 (子)相馬盛胤   82  75  60  56  D   A   D   D   D  突撃之三(1544年登場)

 (孫)相馬義胤   76  70  54  50  D   A   D   D   C  突撃之二(1563年登場)
   江井胤治   23  21  16  68  D   D   D   D   C  鎮静

   佐藤好信   42  34  38  72  D   D   C   D   D  鼓舞
   岩城重隆   69  57  68  70  C   C   D   D   D  突撃之一

   田村隆顕   70  46  58  74  C   A   D   D   D  突撃之二
   草野直清   57  66  21  37  C   B   D   D   D  突撃之一

結構バランスいい配下武将だよね? 内政もできるし戦いもできる。
周辺大名を吸収していけばそれなりの人材も集まるでしょう。
その他の設定は以下の通り、はい、箇条書き、

   ・難易度        上級
   ・登録武将       登場する(特典武将やタイアップ武将)
   ・登録家宝       登場しない
   ・歴史イベント     すべて
   ・伝承イベント     発生しない
   ・ゲーム中編集     なし
   ・寿命         史実
   ・討死         多め
   ・架空息子&架空姫   なし
   ・包囲網/大連合/混戦 全てあり
   ・金銭〜拠点耐久値減少 全て標準

パワーアップキットになってから設定できる項目が一気に増えたんでね。
細かく書くともっとたくさんあるんだけど、面倒だから一言で「上級でほぼ標準」です。
信長が生まれた1534年5月からスタートします。

あ、目標を決めていない、目標?
えーっと、ここのところ全国版シナリオでは、
連立政権エンディングが続いているので単独で天下統一してみようと思います。
ちゃんと息子達が出てくるから寿命もあんまり気にしなくて大丈夫だね。

そうそ、題名の説明をちょっとしておこうかな、
「放たれた荒馬」だって、何のことかさっぱり分かりませんなぁ。
いやね、いい題名が思いつかなくて困ってたんですけど、

全体マップに表示される相馬家のマーク、調べたら「繋ぎ馬」という家紋だそうでして、
天が平将門に贈った黒い馬がいるんですけど、
これが平将門にしか乗ることが出来なかったんですって、
それで繋いでおく事にしたのが、この紋の始まりなんだそうです。

今回、相馬家でプレイするに当たって、
この「繋がれた馬」が自らの意思で戦乱の世を駆け抜けるイメージをしてみました。
自分の中で勝手に妄想です。誰にも邪魔はさせません。
さてはて、相馬顕胤&盛胤父子は乱世をどのように駆けるのでしょうか?


     地盤固め(1534年5月〜


いつもプレイしている年代より随分と昔に戻ったもんです。
畿内では管領細川氏が勢力を握っており、
その他に目立つ勢力は中国地方と九州北部を有する大内家くらい、
あとは小さい勢力がどんぐりの背比べをしている状態なんですよ。
今回の主人公である相馬顕胤と息子である盛胤も、
いまは奥州の小勢力のひとつでしかありません。

陸奥守護職である伊達氏は子女を大名や有力国人に養子や婚姻で送り込み、
奥州では大きな力を持っていますが、相馬家も伊達氏と縁戚に当たります。
ゲーム的にいいますと百二十ヶ月の同盟が結ばれています。
そうです、現在の奥州は思ったより安定していたのです。
史実ではこの後、伊達家を中心に奥州全域を巻き込む天文の乱が起こるのですが、
それより少しだけ早く、相馬家の居城、小高城下で事件が発生したのです。

 「顕胤殿、少しお話がございます。」

日も沈みかけた夕刻、ある武将が相馬顕胤を訪ねてきました。
彼の名は田村隆顕、これまで顕胤と争っていましたが、
和睦して顕胤の娘を子の清顕に娶らせてからは共に乱世を生きる同士となりました。

 「隆顕殿か、なにかありましたかな?」
 「はい、我らの領内に蘆名の間者が紛れ込んだようです。」

蘆名家、おとなりの国の黒川城を治める大名家の名が出てくると、
さすがに顕胤も真剣な表情になります。
蘆名家も伊達家と縁戚にあたり、奥州は一見平和なように見えるのですが、
これも乱世のご時勢、誰が何を目論んでいるかわかりません。

 「それで、どうしました?」
 「はい、三春村付近を探索していたところを我が手の者に斬らせました。」

三春村は諸勢力の拠点、彼らの派遣する騎馬兵は「猛駆」という特殊な戦法を使い、
敵部隊の闘志を大幅に低下させる事が出来るのです、
相馬家の小高城から近く、顕胤は自軍の計算できる戦力に加えていました。
蘆名家がそれを狙っているとしたら事は重大です。

 「今すぐには大きな動きはないでしょうが、
  出来る限り早めに領内をまとめませんと三春村は危ういかと、」

領内にはまだ統治されていない町並もあり、顕胤らは整備していたのですが、
ゲーム的にもこの時代の武将は少なく、思ったように内政も行き届かないのです。
比較的内政向きの武将が多い相馬家ですが全然開発しきれません。
蘆名勢もコチラと同様、武将が不足しているのか大きな動きはありませんが、
放っておいたらどうなるコトか……。

 「隆顕殿、よくぞ報告して下さった。我らも少し急がねばならんな。」

顕胤はふと屋敷の外に視線を向けました。
そこには傅役相手に木刀を懸命に振る嫡男盛胤の姿がありました。

 「子に少しでも何かを残したいと思うのです。わしも親馬鹿ですかな?」
 「顕胤殿ばかりではありません、わたしも同じ思いです。」

それから、数年掛かりの内政が始まりました。
しかし、蘆名の手の者も度々三春村の様子を窺っていたようでした。
このままでは領内の平穏を守れないと判断した顕胤は、
遂に蘆名家討伐の号令を出すのでした。

蘆名家は相馬家と同様に伊達家との縁戚のある大名家です。
ですが伊達家としてはどちらにも手を貸すことはせず静観するようです。
相馬軍は三春村に協力要請をし共に黒川城へと進撃を開始します。

相馬軍は三春衆を加えて約二万五千、対する蘆名勢は一万八千程、
相馬軍の兵種は技術を優先して研究している騎馬隊、顕胤みずから部隊を率います。
軍中には田村隆顕、草野直清と、騎馬適性の高い者が含まれています。
ちなみに三春村の諸勢力が派遣する戦力も騎馬隊ですから、
素早い進軍で蘆名領内を駆け抜けていきます。

対する蘆名勢ですが足軽技術を多少研究している程度なので、
まともに野戦で戦ったとしても勝ち目がないと見たのでしょう。
十分に黒川城へと引き付けて城内からの間接攻撃を利用し戦う構えです。
これを嫌った顕胤は一時待機し、蘆名勢部隊を野戦に引き込もうとしたのですが、
諸勢力の三春村衆は怒涛の進軍を続け城前での戦いに突入しました。

 「いかん、せっかくの軍の勢いが削がれる、我らも三春衆に続け!」

こうして相馬軍も三春衆に続き蘆名勢に突撃を敢行するのでした。
顕胤の戦法は「騎馬強化」です。これを使用すると攻撃力と戦法威力が上昇するのです。
今後、顕胤と騎馬適性の高い家臣たちで戦闘する場合、
「騎馬強化」を使ってからの「突撃之○」を狙うのがスタンダードな戦い方になると思います。

黒川城からの間接攻撃で被害を受けつつも蘆名勢を城へと押し込む事ができました。
しかし、建造物に対する破壊力は弱い騎馬隊、城を攻めるのが苦手なのです。
と、言っても城を攻撃しないと領地は広がりませんから、
相馬軍と三春衆は大きな被害を出しつつ黒川城を攻撃、
まともに戦える兵は僅か三千程になってしまう激戦を制し蘆名軍を撃破したのです。
この戦いで捕らえられた蘆名盛氏は顕胤の前に引き出されました。

 「昨今の奥州は伊達殿の外政により安定を見せておる。
  が、何故にそれを脅かしてまで、伊達に縁のある者同士が戦わねばならぬのか?
  我らが戦えば民草は困窮するばかり、相馬顕胤はうつけか?」

盛氏は両肩を相馬の兵に取り押さえられており身動きが取れない状態にありましたが、
その言葉は堂々としており、まだ戦国武将としての気概を感じさせます。

 「無礼な、そちらが先に仕掛けたではないか!?
  磐城の地は相馬家の所領、三春村に調略をしたのは蘆名であろう!」

田村隆顕が割り込みます。

 「三春村? 何を言っておるのだ、今の蘆名は領内を治めるので精一杯、……!?」
 「……もしや!?」

顕胤と盛氏は息を飲みました。

 「「伊達の策略か?」」

奥州が歪ながらも安定しているのは伊達家との縁戚にある為、
しかしながら、伊達はそれだけでは満足できなくなり最上と交戦しています。
相馬、蘆名が大きく飛躍すれば後々潰すのが面倒になると考えた伊達稙宗は、
お互いを争わせて国力を削ぐのが目的だったのかもしれません。
そこに早馬が嫌なタイミングで到着しました。

 「報告します、伊達軍が最上軍を破り山形城を奪った模様。
  伊達稙宗様の勝利にございます。」

伊達家は外交婚姻によって大きな力を手に入れました。
そして周囲を固めてから最上家を攻め、新たなる領国を手に入れました。
奥州の地にあっていち早く戦国大名としての力を天下に示したのです。

 「盛氏殿、天下はやはり乱れつつあるようですな。」

顕胤は溜息をつくと盛氏に言いました。

 「わたしに力を貸して下さらぬか?
  相馬の民も、蘆名の民も平穏な生活を望んでいるはず、
  この乱世を生き延びるために力を貸して貰いたいのです。」

盛氏が答えます。

 「蘆名の民草の面倒をみてくださるのであれば、
  この盛氏も力を貸さざるを得ません。ただ……」

ただ?

 「田村隆顕殿、わたしは相馬の家臣となる覚悟、
  田村殿も共に、相馬顕胤様に仕えてはどうか?
  大将が何人もいては兵たちが混乱すると思うのだ。」

本来ならば田村隆顕も陸奥三春の大名という立場ですが、
蘆名盛氏は一緒に相馬顕胤の一家臣になろうと言うのです。

 「その方が良さそうですな。
  では、顕胤殿は、これからわたしどもの殿じゃ!」

蘆名盛氏もこれに頷きました。
こうして1537年2月、相馬家は戦国大名の第一歩を踏み出したのです。


     荒馬は南へ(1539年7月〜


すべては伊達の策謀ではないかと感じ取った相馬主従ですが、
証拠は何一つ無く、いまは何も言わずに同盟関係を続ける事にしました。
まずは蘆名戦で失った兵力の回復を目指すのですが、
手負いの相馬家を狙う勢力が続々と姿を現します。
下野の宇都宮家、そして常陸の佐竹家です。

民衆の平穏を望んで戦った顕胤ですが、
思わぬところから戦いに巻き込まれてしまいました。
しかし、これも乱世の倣い、戦わなければ全てを失うだけです。

岩代の国、黒川城の南には磐城小高城への街道がのびており、
両国を攻略する上で最も進軍のしやすい重要なポイントと言えるでしょう。
佐竹軍、宇都宮軍はこの街道を目指し工作部隊を派遣していきます。
もちろん、最終的な目的は黒川城、小高城を攻略する事ですから、
工作部隊を護衛する戦闘部隊はそのまま相馬家に襲い掛かるつもりでしょう。

相馬家は技術的に優先して騎馬部隊を使用していますから、
実際の野戦ではかなり優位に戦いを進められます。
また三春衆を味方につけているのも大きな戦力となっています。
幾度となく宇都宮家、佐竹家は相馬領に侵攻しますが、
その都度なんとか撃退を繰り返していきます。
こうして敵部隊を壊滅させ傷兵を吸収することで相馬家の兵力は回復、
次の一手を放つ時が来ました。

 「わしはこれより佐竹と宇都宮を討つつもりでいる。
  ただ、両家と全面的な戦闘を始めた場合、また他の勢力に隙を衝かれる。
  何か良い手はないものか?」

蘆名盛氏はこれに答えます。

 「両家に同盟の使者を走らせましょう。
  おそらく人質を要求するでしょうから、条件の良いほうと手を組み、
  もう一方を叩くのが上策かと、」

なるほど、確かに両家は人質の要求をしてきました。
佐竹家からの要求は「江井胤治」を人質とする事、
彼の政治能力はそこそこ高いのですが、それ以外ではあまり働く場面がありません。

 「胤治、不自由を掛けるが五年間、佐竹家に行ってくれぬか?」
 「殿の仰せとあらば、この胤治、何年でも耐えまする。」

済まないと思いつつ江井胤治を送り出す相馬主従でしたが、
これで目標は絞られました、今後の方針は宇都宮家を討つことです。
しかし、そこに報告の早馬が飛び込んできます。

 「伊達勢、大崎家を撃破し、大崎家は伊達家に下ったとの事です。」

伊達の動きが活発になってきました。
最上を攻略し、大崎を攻略した、
既に四つの本城を有している大勢力となったのです。

 「伊達勢の動きが気になりますか?」

田村隆顕が顕胤の顔色を窺います。
蘆名盛氏もまたそのコトを気にしていました。
伊達家が大きくなればなる程、同盟が切れた後が大変ですから、

 「いっその事、これ以上、南に進めないようにしてはどうだろう?」

顕胤が言葉を漏らすと、

 「……これは得たり、いいお考えです。」

盛氏はポンと膝を叩きました。
現在、伊達勢は南羽前から北越後に侵攻できる状態にありますが、
同盟国である相馬家が北越後を攻略できれば、
伊達家がこれ以上南へ侵攻する道を閉ざすことができます。

 「さいわいな事に佐竹とは同盟中、
  宇都宮の動きに警戒すれば北越後の上杉定実を攻撃することは可能かと、」

盛氏の言葉に力をえた顕胤は三春衆を呼び出し共に北越後の新発田城へ侵攻を開始します。
警戒していた宇都宮勢は動きを見せず、新発田城を無事攻略。
これで本城は三つ、伊達家の動きの牽制にもなり一石二鳥です。
この翌年、新発田城下の開発を終えた相馬勢は下野の宇都宮領へ侵攻、

全ては考えたとおりに終わるハズでしたが、
房総半島から古河御所を攻略した里見勢が宇都宮を目指し進軍を開始、
時を同じくして上野箕輪城より上杉憲政勢が宇都宮へと侵攻を開始しました。
宇都宮家は度重なる相馬家との戦いに疲弊しており、
関東諸将は虎視眈々と狙いを定めていたのです。

相馬家の侵攻という混乱につけこんで、
宇都宮領を我が物にしようと里見、上杉憲政両軍は宇都宮城へと雪崩れ込んできます。
対する宇都宮家にはもはや反抗する力も無く敗走を繰り返すのでした。

このままでは宇都宮家を火事場泥棒されると判断した顕胤は、
一時、城への攻撃をとりやめ、宇都宮城へと群がる上杉、里見両軍と交戦、
これらを撃退することに成功しましたが、お陰で宇都宮城を落とすもギリギリの辛勝、
大きく兵力というか軍馬を失ったのです。

兵力は敵部隊を壊滅させ傷兵を吸収する事である程度回復を望めますが、
馬はどんどん消耗していきますから、相手の馬を吸収できるわけじゃないので、
とにかく軍馬が減っていくのが痛いのです。
足軽技術を研究していないから馬から下りると相馬軍は弱いんです。
とにかく兵馬を整えなければ次の合戦すら出来ません。

 「今は北越後に蓄えた軍馬を使用すべきかと存じます。」

そう、盛氏の言うとおり、関東方面へ備えていた兵馬はボロボロになってしまいましたが、
少し前、北陸方面に侵攻した新発田城の兵力、軍馬ともに回復しています。

もちろん、放っておいても回復しませんよ。ゲーム的に説明をすると、
ちゃんと「募兵する奉行」「軍馬を集める奉行」を決めて彼らに補充を一任するのです。
募兵が可能になる夏と冬、民の忠誠度を考慮しながら自動で募兵してくれますし、
軍馬を集める奉行はお金に余裕さえあれば常に軍馬を生産してくれます。

天道を持っている方はマニュアルの34頁に書いてありますから参考にしてください。
これまで使っていない人がいるかもしれませんので一応書いておきました。

新発田城に蓄えてあった兵馬を利用し侵攻するは上杉憲政が支配する南越後の春日山城、
長尾家を追い出して春日山城を手に入れているとは、
今回はなかなか頑張る関東管領様だったのです。

 「相手が誰であろうと必要以上に恐れることはない、
  我らの力を信じ、敵を打ち破ることこそ肝要、……全軍、突撃!」

顕胤の号令を合図に相馬騎馬隊は春日山城へと向かって行きます。
上杉憲政軍も反抗しますが長くは持たず落城、
1543年3月、相馬軍は五つの本城を持つ勢力へと拡大、伊達家をしのぐ勢力に成長出来ました。
しかし、この翌年、伊達家と相馬家の同盟が切れることになります。
乱世はまた新たなる悲劇を産もうとしているのか、……以下次回です。


   〜〜〜 これまでの主な出来事 〜〜〜


 1534.05 伊達家と百二十ヶ月同盟の状態からスタート

 1537.02 蘆名盛氏の黒川城(岩代)を攻略、蘆名家は滅亡

 1539.07 江井胤治を人質に差出し佐竹義篤と六十ヶ月の同盟を締結

 1540.07 上杉定実の新発田城(北越後)を攻略、上杉定実家は滅亡

 1541.08 宇都宮尚綱の宇都宮城(下野)を攻略、宇都宮家は滅亡

 1543.03 上杉憲政の春日山城(南越後)を攻略する

          :
          :
          :





   前へ戻る    目次に戻る    次へ進む