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  放たれた荒馬「相馬顕胤&盛胤プレイリポート」(完結編)

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東日本巨大地震で亡くなられた方のご冥福を、行方不明になった方々の無事を祈ります。

地元大名が相馬家の方々も被災されていると思います。
相馬家の活躍ですこしでも気持ちが暖かくなると幸いです。



     高遠城攻略戦(1554年5月〜


年が明けてすぐ、相馬家を大勢力へと導いた英主、相馬顕胤が亡くなりました。
家督は既に嫡男である盛胤に譲っていたものの相馬家中では大きな喪失感を感じています。

 「父上ぇぇ、それがしはどうすればよいのですかぁぁぁぁぁ!?」

織田家と朝倉家と大連合を組んだ今川家は弓術に優れた大名家です。
昨年の駿府城での攻防で、相馬家は一応の勝利をおさめてはいるものの、
自慢の騎馬隊は今川の弓隊によって大きなダメージを受けておりました。

今後、今川家と天下を賭けた戦いをする上で、
今川家の弓隊をどうやって攻略するかが鍵になります。
相馬家中一の知恵者、多目元忠も色々と考えているようです。

 「盛胤様、鉄砲というものを御存知でしょうか?」
 「鉄砲ぉぉぉ? そう言えば前に父上も鉄砲がどぉだとか言ってたような気がするぞぉぉぉぉ!」

話は1543年、いまから10年ほど前にさかのぼります。
種子島に流れ着いた南蛮人によって鉄砲が日本にもたらされました。
その威力は戦国時代の戦争スタイルを一変させる強力なモノでした。
各地の諸大名は鉄砲に興味を抱き研究し自領内でも生産できるようになっています。
我らが相馬家でも鉄砲の事は知っていましたが、
騎馬隊と足軽隊で乱世を渡ってきた為かあまり鉄砲とは縁がなかったのです。

 「敵が弓なら、我らは鉄砲をと思ったのですが、
  扱える将兵も少ない、やはりまだ時期尚早なのかもしれません。
  うーむ、しかし今後を考えると……ぶつぶつぶつぶつ…………。」

そう、シナリオ開始年月が古いから仕方ありませんが、
いま相馬軍で活躍している武将たちは鉄砲の扱いが上手くありません、
鉄砲適性がDやCの武将がほとんどです。
弓適性が高い武将はそれなりにいますが、
弓技術なんて研究してませんから、
今川家と弓の撃ち合いになったら数で応戦するしかないでしょう。

 「あとは一時撤退し、弓兵を誘き出すしかありません。」
 「うーむ、面倒だけど仕方ないぞぉぉぉぉぉぉ!」

ともかく、立ち止まっていては今川軍は倒せません、
どうにかこうにか戦わないと……、

南信濃、高遠城へと侵攻した相馬軍に対し、
今川軍は美濃稲葉山城、尾張清洲城から増援部隊を出陣させました。
高遠城には五万近くの兵力が蓄えられており、
当然の如く相馬騎馬隊には今川弓隊が対応に出てきます。
城の上から降り注ぐ無数の矢は相馬騎馬隊に突き刺さります。

 「騎馬隊、退くのだぁぁぁぁぁーーーーー!」

盛胤の絶叫が戦場に響き渡ります。
さぁーーーーーーっと退いていく相馬騎馬隊、
それに合わせて誰かが叫びました。

 「敵が退いたぞ、追い討ちを掛けろっ!!」

 「な、なんと、これは敵の策だ、追うな、引き返せ!」

実は相馬軍に仕える風魔忍者衆を戦場に放っていたのです。
戦場のあちらこちらで今川弓部隊が動揺や混乱状態に陥ります。

 「騎馬隊、我に続け! 高遠城に向けて転進、者ども手柄を競え!」

田村隆顕らが率いる騎馬隊は向きを変えて混乱している今川軍に襲い掛かります。
すこし遅れて北条氏康、長野業正らが率いる足軽隊が高遠城へと張り付きます。
城門をこじ開けようと攻撃を集中させる相馬軍ですが、
それを美濃、尾張から援軍に来た今川軍が邪魔をします。
対し相馬騎馬隊は今川の援軍に野戦で勝負を挑みます。
ダメージはありますが、城に引き篭もって矢を撃たれるよりマシ、

戦いは熾烈を極めました。多くの部隊が壊走し甲斐躑躅ヶ崎館に後退、
そこから部隊を再編成し、また南信濃高遠城へと向かうという物量作戦によって、
ようやく高遠城を攻略できました。

 「多くの兵を失ってしまったぞぉぉぉぉぉぉぉ!
  ……死んでいった者たちには申し訳ないコトをした、すまぬぅぅぅぅぅ!」

大きな犠牲を払いましたが、きっと今川家も苦しいハズです。
高遠城の戦いで美濃稲葉山城の兵力が大きく減りました。
尾張清洲城の兵力も大きなダメージを受けています。
こうして相馬軍はその身に大きく被害を受けながらも東海地方を進撃していくのでした。


     相馬幕府(1556年8月〜


東海道をひた走る相馬軍は激戦の末、ようやく伊勢志摩の霧島御所を攻略、
これまでもそうですが、今川の弓兵に苦戦を続けており、
兵馬を整える奉行たちの働きが重要になってきます……。
しかし、兵が増えすぎると兵糧の消耗が気になります。
池田家のリプレイで大変な目に遭いましたので、
前線から遠くなった領地の募兵奉行は順次解任しているような形です。

今川家の弓兵が強い、きついと何度も言ってますが、
高遠城で激突したときよりは随分とマシになりました。
今川家の所有している技術を持つ匠ノ町を幾つも占領してますので、
彼らの弓の技術の大半は失われています。今川家も後が無いのです。

 「殿、後方の城より兵馬の増援部隊が到着しました。我が方の準備は万全でございます。」

これまで長い間、相馬家を支えてきた蘆名盛氏が言いました。
伊勢志摩の霧山御所は、この乱世をどうにか生き長らえてきた北畠家が篭っていました。
彼らを下し、相馬の家臣として採りたてる為、霧山御所で数ヶ月を過ごした相馬軍は、
後方支援を受けつつ次の戦いの準備を整えました。

 「して、敵の、今川の動きはどうかぁぁぁぁぁっ!?」

これには相馬の軍略を担ってきた多目元忠が答えます。

 「今川は伊賀大和の筒井城に大軍を駐留させています。
  おそらく、今川勢はこの一戦に全てを賭けるつもりでしょう。
  逆に言えば、この決戦を制することが出来れば今川を滅ぼせるでしょう。」

ついで北条氏康が口を開きました。
巨大化した相馬家中のなかでも政(まつりごと)に関しては、
氏康の手腕が最も優れています。

 「兵糧も十分、いつでも行けますぞ。」

そして盛胤が号令をします。

 「これより我らは伊賀大和の筒井城へ向けて攻撃するぞぉぉぉぉぉ!
  皆の者、我に続けぇぇぇぇぇ!!!」

相馬軍、騎馬兵六万余、徒歩兵六万余が一斉に動き出します。
これに対し今川軍も周辺の国々から増援部隊が出撃しました。
ついに相馬軍と今川軍、最大の戦いが始まりました。

今川勢は筒井城に八万、周辺国から無数の援軍が近付いてきます。
相馬の騎馬兵は、手始めに周辺国からの援軍を蹴散らしていきますが、
その数が盛胤(というか、プレイヤーであるわたし)の想像を超えていました。

次々と弓戦法が連鎖する戦場は受けたダメージの表示でメチャクチャ賑やかです。
もちろん相馬軍としては全く嬉しくない表示なんですが、うん、ちょっとすごかった。
城に飛びついた足軽隊も、城兵の必死の抵抗に苦戦します。
戦場は阿鼻叫喚の地獄絵図そのもの、
多くの血が流れ、多くの肉が切られ、多くの骨が絶たれるのです。
双方の死傷者は甚大な数に上りましたが戦いは終わりません。

 「殿、このままでは危険です。軍を退かせるべきです!」

返り血で真っ赤に染まった田村隆顕、
相馬家が拡大した今でも盛胤の右腕として騎馬隊を率いている忠臣が叫びます。
周囲をよく見れば付き従う兵は僅か、いつ壊滅してもおかしくない状況、

 「ここはわたしがなんとかします。殿は霧島御所までお退きください!」

空を覆わんばかりの矢が撃ち込まれ兵が盾となって盛胤を守っている状態、
襲い掛かってくる敵兵は大将首を狙って死に物狂いで刀を振り、槍を突きます。

     ひゅーーーーん、どすっ……。

すぐそばに付き従っていた田村隆顕の肩に矢が突き刺さり落馬したではありませんか、

 「隆顕ぃぃぃぃぃぃっ!!」

 「殿はお退き下され! えぇぃ、相馬盛胤ここにあり!
  我が首を取らんとする者はおらぬかっ!」

誰かが盛胤の馬に鞭を入れ、盛胤は戦場から抜け出しますが、
あっという間に人波に飲み込まれる田村隆顕、それを救おうとする田村家の兵たち、
盛胤にとって全てが一瞬の様でした……気がつけば人里離れた獣道、
付き従う兵は数人、下手をすれば落ち武者狩りの農民に殺されかねません。
生きた心地のしないまま霧山御所に戻った盛胤は
田村隆顕の無事を願う事しか出来ませんでした。

ゲーム的に言えばですね、
「お味方の部隊、壊滅」→「陣形を維持出来ません」→「お味方が負傷されました」

 「隆顕ぃぃぃ、よく戻ったぞぉぉぉぉぉぉぉ!!」
 「殿、ご心配をお掛けしました。なんとか風魔衆に助けられました。」

こうして伊賀大和の筒井城攻略に失敗したものの、
この戦いによって今川家も大きな被害を出しています。
今一度筒井城を攻撃する。盛胤は再び軍を再編成し筒井城を攻撃、
またも甚大な被害を出しつつもようやく筒井城を攻略したのです。
筒井城を攻略した後、

 「殿、ここはわたしにお任せくだされ。」

北条氏康は雑賀城へと赴き鈴木家は降伏、
実は今川家と本格的にぶつかり合う頃から
北条氏康と多目元忠は鉄砲に関する施設も建築しておりまして、
鉄砲技術もそこそこ研究していたのでした。
その後、今川勢は敗走を重ねる事になります。

1559年、今川家は朝廷を頼り相馬家との六ヶ月の停戦とりつけましたが、
もう大勢を覆せるだけの力は無く、同盟相手であった大内家との関係も途切れました。
かくして相馬家は畿内を武力制圧に成功し相馬幕府を開幕するに至ります。
大内家も相馬家の威光を恐れ朝廷を介して六十ヶ月の同盟を申し込みました。
これで敵対する勢力はほぼ無くなったのです。

 「一時はどうなる事かと思いましたが、ついにこの日が来たのですね。」

田村隆顕が目を潤ませて言いました。
蘆名盛氏、北条氏康、多目元忠をはじめとする相馬家の一兵卒までにも、
歓喜の時がやってきたのでした。


     朝敵(1562年1月〜


大内家は朝廷を介して強制的に相馬家と同盟を締結しました。
今川家はそれまで同盟を組んでいた大内家にも攻撃され、
次第に中国地方の一勢力に成り下がってしまいました。

残る大名家は四国に本城を二つ持つ一条家(!)と、
九州南部で大内家の猛攻を凌いでいる島津家だけです。

なかなか屈服しない島津家に業を煮やした大内家は
朝廷に掛け合い島津家を朝敵にしたのです。
それでも抵抗を続ける島津家は大内家と戦い続けます。

相馬将軍家は残された今川の領土を切り取り最終的に今川家を降伏させます。
その後、相馬家は同盟相手である大内家の領土を通過し四国一条家を攻撃、
ここに到って一条家もまた将軍家に降伏を申し出ました。

一条家を降伏させた相馬軍はそのまま九州へと遠征、
島津家に苦戦する大内軍を尻目に島津家の各城を攻撃、
島津家に抵抗する力は既に次々と落城していきます。

これでようやく戦乱が治まると誰もが思っていました。
しかし、大内家は自分から締結した同盟を一方的に破棄したのです。
大内領内は混乱し各町並の忠誠度が一気に下がりました。

混乱はこれだけではおさまりません。
なんと、大内家は朝廷に泣きついて島津家が相馬家に降伏した後、
すぐに相馬家を朝敵に指定したのです。

朝敵、つまり朝廷の敵、天皇の敵になっちゃったのです。
民衆は相馬家を信用できなくなりました。
相馬領内は大混乱を起こし天下は一揆の嵐に巻き込まれていきます。

一揆が発生すると内政施設が破壊され収入が得られなくなります。
また、全ての施設を破壊した後、集落入口の街道を破壊し大名家との繋がりを絶ちます。

   そんなのいいじゃん、気にしなくて……。

プレイヤーであるわたしはそう思っていましたが、
すこし時間が経つと本当の地獄が始まりました。
一揆によって技術開発をした匠ノ町が次々と相馬家の統治から離反していくのです。
開発した技術が、え? うそ、何、これ?
無くなっちゃうよぉっ!

 「それがしは何も悪い事してないぞぉぉぉぉぉぉ!?」

叫びたいのはコッチも同じだ盛胤!
だが、これは民の信用をなくした大内家も同じような状況。
しかし、領地が広い相馬家にしてみれば収拾がつかない程の大混乱。

 「殿、心中お察ししますが、ここは大内家を討つ方が先です!」

氏康に促されて大内家との戦いを始めました。
さいわいなことに、騎馬系の技術はそれほど被害を受けなかったので、
物量と勢いで大内家を滅ぼす事ができました。
ようやく天下は平穏を取り戻す事になります。

朝敵は厄介です。対応策としてはコチラが先に朝敵を指定する。
もしくは、関白になるという手もあります。

あ、ただし、関白になると将軍になれません。
逆に将軍になると関白にはなれません。
そこは注意が必要ですね……。

 「父上、わたしの出番はナシですか?」

義胤、ごめん、使う暇がなかった。元服したのですが、
もう最終局面だったので、でも、二代将軍として治世を受け継ぐのも立派な仕事です。
万民が平穏な暮らしを謳歌できる、相馬幕府はこうして歴史に名を残すのでした。

盛胤は天守閣から城下町を眺めました。
人々の賑やかな声、戦乱の世の中、大きな仕事をやってのけたのです。
しかし、盛胤は手のひらを見るたびに思うのです。
顕胤が墨で書いた「臣」という字を、

 「多くの家臣が支えてくれたからこそ、今の相馬幕府があるのだぁぁぁ!」

     ・
     ・
     ・

やっぱり単独統一は時間が掛かりますねぇ。でもサッパリします、これで良かったのだ。
「大連合」に「朝敵」とパワーアップキットで追加されたイベントも体験できたし、
成長しきった弓部隊の恐怖も味わうことも大きな経験です。

まぁ、毛利家で遊んだ時に弓の強力さは知ってたつもりなんですけど、
敵に回すとこれが意外と厄介なんです。
逆に防衛戦の場合は心強い味方になってくれる弓部隊。
ある程度は弓も研究したほうがいいのかなぁ?

あと「朝敵」は怖い。
島津家が降伏した途端に大内家がまた朝廷に泣きついたんだよね。
わたしとしては、あとひとつの勢力しか残っていない。
天下統一まであと一歩と思って完全に油断していました。

 つーか、大内家、どんだけ朝廷に献金しているんだよw

こんな感じで今回も終了です。
ながいお付き合いありがとうございます。おつかれさまでした〜。


   〜〜〜 これまでの主な出来事 〜〜〜


 1554.05 今川義元の高遠城(南信濃)を攻略する

     .08 本願寺証如の尾山御坊(加賀)を攻略する

     .12 今川義元の引馬城(遠江)を攻略する

 1555.02 今川義元の岡崎城(三河)を攻略する

     .05 今川義元の安祥城(三河・支城)を攻略する

     .08 今川義元の清洲城(尾張)を攻略する

     .11 今川義元の稲葉山城(美濃)を攻略する

     .12 今川義元の桜洞城(飛騨)を攻略する

 1556.03 北畠晴具の霧山御所(伊勢志摩)を攻略、北畠家は滅亡

     .08 今川義元の筒井城(伊賀大和)を攻撃するが攻略失敗

     .12 今川義元の筒井城(伊賀大和)を攻略する

 1557.03 鈴木重意が相馬家に降伏

     .05 今川義元の一乗谷城(越前)を攻略する

     .08 今川義元の小谷城(北近江)を攻略する

     .10 今川義元の観音寺城(南近江)を攻略する

     .12 今川義元の室町御所(山城)を攻略する

 1558.01 大内義長の岸和田城(河内和泉)を攻略する

         大内家の策略で島津家が朝敵になる

     .03 今川義元の石山御坊(摂津)を攻略する

     .05 今川義元が朝廷を通じて相馬家と六ヶ月の停戦をする

     .09 相馬盛胤、征夷大将軍に就任し相馬幕府を開く

     .10 大内義長が朝廷を通じて相馬家と六十ヶ月の同盟を締結する

 1559.03 今川義元の舞鶴城(丹後若狭・支城)を攻略する

     .05 今川義元の弓木城(丹後若狭)を攻略する

     .07 今川義元の姫路城(播磨)と鳥取城(因幡但馬)を攻略する

     .10 今川義元の天神山城(備前備中)を攻略する

         今川義元が相馬家に降伏

 1560.07 一条兼定の岡豊城(東土佐)を攻略する

         一条兼定が相馬家に降伏

     .11 島津貴久の府内館(豊後)を攻略する

 1561.02 島津貴久の人吉城(南肥後)を攻略する

     .03 島津貴久の清水城(薩摩)を攻略する

     .04 島津貴久の肝付城(大隅)を攻略する

     .11 大内家が一方的に同盟を破棄する

     .12 島津貴久が相馬家に降伏

 1562.01 大内家の策略で相馬家が朝敵になる

         大内家と一揆衆が同時に相馬家を襲う

     .06 相馬家、大内家の勢力を九州から駆逐する

 1563.01 相馬家、大内家の勢力を四国から駆逐する

     .07 相馬家、大内家の勢力を中国地方に追い詰める

 1564.01 大内義長が相馬家に降伏

      天下統一




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